ゆらめく世界と怪談と
こどもの頃から怖がりだった。
長い間、夜ひとりでトイレに行けなかった。
学校の怪談におびえ、夕暮れの薄暗闇を恐れた。
今でも街灯のない道はできるだけ避けて歩き、「出る」と噂されるところには極力ひとりで行かない。
激戦地だった沖縄で「出ない」場所なんてないのだけど。
それなのに、なのか、そのせいで、なのか分からないが、非日常的な非科学的な怪談的な不思議な話をよく聞いてしまう。
子どものころからそうだった。
問わず語りに話し出す祖母。
親戚が集まったお盆で語られる噂話
こんなことがあったんだーと盛り上がる飲み会。
深夜に及ぶ残業の眠気覚ましに。
アイスブレイクが実家の怪談というなんとも言い難い会議もあった。
忘れないと生きていけないというほど怖くない忘れがたい話。
怖いのか愛しいのか分からない不思議な話。
沖縄で生まれ育ち、沖縄の風習をそこそこ大切にする家庭に育った私は、沖縄の土地とカミを畏れている。
そしてこの土地で起こる人知を超えたものを、そんなものだと受け入れている。
運気の上がり下がり、体調の良し悪し、子どもの機嫌に至るまで「なにか(人の手におえない原因が)あるのかねー」と思ってしまう。
ある意味、典型的な沖縄のオバサンだ。
そんな私が偏愛する漫画が太田基之・小原猛の「琉球怪談」だ。
「ゴーヤーの巻」「マブイグミの巻」「キジムナーの巻」の3冊セットに加え「琉球怪談デラックス」が発刊されている。
ここまで沖縄の空気感と人間以外のモノへの距離感を絶妙に表現している作品は読んだことがない。
とぼけた味わいとつきぬけた視線、ひょうきんさと哀切さが渾然一体となり、滋味深い。
実話怪談集を漫画化しているだけあって、この話はあの公園だなとか、あの通りだなというのはすぐに分かる。
それでも怖さよりも親しみを感じさせる。
そういうことあるよね、たまに見るよね。
この世とあの世、人と人外はゆらゆらゆらめいてお互いを侵食しあって存在する。
市街地にいても、気付くと異界に片足を突っ込んでいたり、くるりと世界が反転してしまう瞬間はよくあるものだ。
沖縄の空気ごとコミカライズする太田基之さんの画力にひれ伏すしかない。
沖縄のことを知りたいと思う方全てに読んでほしい作品だ。
大家ふたりの「琉球怪談」の足元にも及ばないが、これから私が聞いた「琉球怪談」を少しずつつづっていきたい。
怪談的で不思議でオチがないものも多いから、怪談ではなく百物語かもしれない。
そんな話をつづっていきたい。