番外編:初発から再発まで②
生きた証を残すために
「闘病記(2019年9月~12月頃①)」で触れたように、所属していた公共慈善団体では、2020年7月からの次年度幹事を引き受けることが決まっていました。しかし、悪性リンパ腫は白血病などと同じく、抗がん剤などの治療が効きやすいという反面、再発率が高く、さらに再発すると初発で使用した抗がん剤は原則効かなくなるため、予後が悪いという残念な特徴を持っています。
12月末のクリスマス会より団体に復帰し、できる限りに集まりにも参加することはできましたが、「番外編:初発から再発まで①」にて前述した通り、次年度開始前の3月頭の時点での診断は「治療は完全奏功、寛解」というものでした。でも、再発しない保証など何もない状態だと自分では思っていました。
このような状況でしたから、当初は幹事就任をお断りし、団体を退会しようと思っていました。会員のみなさんに腫れ物を触るように扱われるのは自分の本意ではありませんでしたし、今まで通りの自分の役割を全うする自信がありませんでした。
そこで、次年度の会長になる方には辞退することを前提に、まず電話にて話をする機会をもらおうと思い、連絡をさせていただきました。すると、「俺、とわとあかりをさんが幹事やるから会長やるんだよ。君以外とはやらないよ。よろしくね。」と機先を制されてしまいました。
当初は「この人は病人に向かって、なんて常識のない人だ」と思いましたが、それと同時に、病人を病人と扱わない次年度会長の姿勢になんだか嬉しくなってきました。普通の人と扱われる事で、何故か再発の恐怖と闘い続ける、生きる気力が再び生まれてくるようでした。そうです。自分は病気を心配されるよりも、期待される方が輝ける、そのことに気づくことができたのです。
そこで、妻に次年度の幹事を引き受けることを相談したところ、僕に気力がみなぎる様子を悟ったようで、「その方が元気になるならやったほうがいい、やらないで死んだら後悔するでしょ」の一言でした。ほんとに妻にはいつも助けられ、頭が上がりません。確かに再発しようがしまいが、生きようが死のうが、やらなかったら悔いが残ります。
何より、今生きているからこそ、幹事というチャレンジができ、団体での要職のチャレンジには、「みんなのためになる」奉仕活動がもれなくついてきます。さらに、団体における奉仕活動は、ひいては地域社会のためになり、地域社会のためになった行動は関係した人々の心に残ります。
確実に言えることは、僕は人より早く死ぬ可能性が高いだろう。
でも、その恐怖におののいて、守りに入って、家に引きこもるような毎日で長生きするよりも、積極的に社会に関わり、社会に貢献しよう、そして、僕と一緒に貢献した人たちがさらに社会が良くなるような行動をして、社会貢献の連鎖が起こるようにしよう。僕という男がいたと、一緒に貢献した人たちが僕が成したことを息子や娘に語ってくれ、それを聞いた子供達も社会貢献の連鎖に入っていけるようにしよう。
そんな想いが自分の中で点火されました。
そして、2020年7月から2021年6月まで、団体の幹事を務めさせていただきました。コロナ禍真っ只中で「集まって」活動することは困難を極めました。集まること自体に批判を頂戴することもありましたが、団体の会長や事務局の心強い協力を得ながら、会員の工場見学や親睦活動、駅前時計台の設置や花壇への花植え、団体の創立40周年記念行事など、様々なチャレンジを行うことができました。
そのチャレンジが成功でなくとも、たった一人でも花壇の花に気づいてくださる方がいらっしゃれば、周囲には僕が生きた証を残せたと思っています。
そして、何よりもコロナ禍の間隙を縫うようにして行われた記念行事では、団体をこの地に設立し、今日まで社会奉仕の火を灯し続けてきた諸先輩の思いを感じ、人と人が顔を合わせて話をすることと協力し合うこと、古きを温めて新しきを知り、行動することの重要性が身に染みました。
自分にとっての生きるって、誰かのために役立とうと思い、行動することなんだ、と。