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闘病記(2019年9月~12月頃④)

忍び寄る過酷な副作用と手厚いケア
入院初日、血液腫瘍科の先生から受けた治療の説明はなかなか厳しいものでした。まず、全身のリンパ腫を叩く抗がん剤は3週間を1クールとして3クール9週間、上顎にある腫瘍については放射線で平日ほぼ毎日2グレイの照射を行い、土日の休みを挟みながら合計27日間で54グレイの照射を行うことで殲滅させるというもの。

なお、リンパ腫の中では質が悪い部類になり、急に増悪したりするので、とにかく治療をスケジュール通りに完遂することを目標とし、治療中でも予断を許さず、口内などの清潔を保ち、感染症や体力の低下などで治療を中止にならないように体調を整えることも重要だ、という話をしてもらいました。

また、抗がん剤と放射線並行治療の場合、吐き気やだるさなどの主要な副作用のほかに、口内炎があり、これがひどくなると、口から栄養を取ることが難しくなるので、カテーテルからの栄養補給となる場合が多いことも聞きました。特に僕の場合は放射線の照射が完全に口内にかかるので、非常に厳しい口内炎が予想されるという話でした。

その結果、痩せすぎてしまうと、それが原因で治療中止にもなるので、なるべく口内をケアし、口内炎がひどくならないようにし、栄養を取ることを継続することも重要だそうで、多くの患者さんはこの副作用による衰弱が原因で自分の足で歩くこともままならず、治療後半には車椅子での移動を余儀なくされ、治療終了後に歩行などのリハビリも必要になるようです。

そんな治療の説明に少々ビビりながらの抗がん剤のスタートとなりましたが、始まって1~2週間は意外に何も起こらず、特にどこかが痛いわけでもなく、気持ち悪くもならず、至って元気でした。少々しゃっくりが出る程度だったので、「何だ、これくらいの治療でも完遂できない人がいるのか」と少し拍子抜けしたものでした。この後に厳しい副作用が待ち構えているとも知らず。。。

そんな楽勝ペースで開始した治療でしたが、一番初めに主要な副作用として出てきたのは、抗がん剤を始めて3週間後程度から出てきた脱毛でした。ただ、脱毛は予想できたことでしたし、46歳のオッサンだったので、特に何も抵抗なく、すぐ院内の理髪店で坊主にしました。脱毛はなかなか激しく、一晩寝るだけでベッドの枕の周りが毛だらけになるので、髪を短くすることでその不快感を少なくすることができました。短い毛の脱毛は肌に触るとチクチクすることがありましたが。

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4週間目に入り、抗がん剤も2クール目に入ると、様々な副作用が襲ってきました。中でも、とてもキツかったのが口内炎です。気を付けてこまめに歯を磨き、アズレンという薬でうがいをして口内をケアしているつもりではありましたが、抗がん剤と放射線のダブルパンチの副作用で口の中が口内炎だらけになってきました。健康時に一つ二つできる口内炎が常に10~15箇所ぐらいある感じです。

このことで、食べ物が沁みたり当たったりで固形物を取るのが難しくなってきただけでなく、普通に水を飲むだけで激痛が走ります。更に、食後には歯磨きをしなければならず、ブラッシングもうがいも地獄のような激痛。また、抗がん剤では吐き止めを飲んでいるせいか、気持ち悪くはならないものの、口内炎と闘いながらせっかく食べた栄養を突然吐いてしまうことが何度もあり、病院下のコンビニで突然吐いてしまったときは、恥ずかしさと惨めさ、そして周囲の人への申し訳なさが入り混じった感情にどん底な気持ちになりました。

さらに追い打ちをかけるように、唾液があまり出なくなり、口内が乾燥するようになりました。頻繁に水を飲みたいのですが、飲むたびに口内中にある口内炎から激痛がはしります。また、味覚も徐々に鈍くなってきており、甘みは感じるものの、塩味やうま味というものが徐々にわからなくなってきました。入院生活の楽しみだった「食事」が単なる栄養摂取のための「作業」となり、苦痛な時間になってきました。

そんな過酷な副作用のせいで気持ちも上がらず、食欲がどんどん落ち、つれて体重も日に日に落ちていきました。この時期に17~18kgは痩せました。痩せていく自分の体を見て、放射線科の先生に「ある程度の蓄えがあるから、治療での体重減少はある程度は大丈夫」と言われたことを思い出しました。普通の人だったら痩せすぎで治療中止となったのかもしれません。この時ばかりは小太りだったことがアドバンテージなりました。

しかし、それら副作用に対する癌研医師やスタッフのケアは、これまでのノウハウの蓄積もあるのでしょう、物心両面でとても手厚いものだったと言えます。

まず、食事ですが、食欲がない人だったり口内炎などの理由で食事が採りにくい患者のために、様々な食事の選択肢があります。前述した通り、僕は甘いものしかわからなくなってきていたので、カロリーメイトゼリーやプリンは口内炎にも優しく、十分な栄養が取れるため、定番の食事となっていましたが、癌研ではこれをチョイス食という名称で選択することができます。

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この食事を細々でも続けることで、体重減少をある程度のレベルで止めることができ、結果として治療を継続する大きな要因となりました。また、口内炎への処置として、併設の歯科に毎朝通い、レーザーで口内炎を焼くことで、痛みを減少することも試みられ、一定の効果がありました。

さらに看護師さんからは、キシロカインという薬をうがいに混ぜたりして、口内炎の痛みを一時的にマヒさせることで食事をとりやすくするような配慮をしてもらいました。他にも看護師さんは、いろんな方がかわるがわる知識と経験を都度教えてくれ、特に副師長さんは、塩水でうがいすれば沁みにくいとか、歯ブラシをスポンジに変えるとか、肌ケアなども含め様々なアドバイスをもらい、それらが副作用を克服していく原動力となりました。

その他にも、担当看護師だったHちゃんや病室のおそうじのスタッフであるMさんという女性と仲良くなり、他愛もない会話がとても楽しみで、また治療と副作用の束の間、妻が病院に来られない時のいい話し相手になってくれていました。

「女性」というと、なんだか色めいて聞こえますが、Hちゃんはもはや娘といってもいい頃の女性、Mさんは「昔の」お姉さまなので、娘の仕事上の悩みを聞きつつ、もう一方では母親に相談するがごとく気兼ねなくいろんなことをお話しできました。人とのコミュニケーションはお互いの心を豊かにしてくれます。人間同士で心が通い合い、信頼関係ができると、本音で語れるようになるものです。

また、看護師長さんは日勤の時には毎回遊びに来てくれました。もちろん、僕に興味があったわけではなく笑、病室に置いた「まいにち修造カレンダー」を見るためです。修造さんの励ましの言葉を話題にいろいろ会話をする毎日でしたが、心を許していたためか、ふと迷惑をかけているばかりの妻に話が及び、「僕は妻を全然幸せにできていない」と号泣してしまったことがあります。後にも先にも病室で泣いてしまったのはこの時だけでしたが、追い詰められた気持ちをかなり楽にしてもらいました。

病室でも片手の回数ほど嘔吐をしていますが、その度に皆さんで協力して快く部屋を綺麗してくれたのも、流血でシーツを汚した時も、嫌な顔一つせず、むしろ僕に気を使いながら進んで処置をしてくれ、掃除の際には冗談で笑わせてくれるようなこともあったのは、互いの信頼関係が育てられていたからだと思います。


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