メキシコのレスラーってどうやって会場移動するの?
日本の5倍もの国土を誇るメキシコで、レスラー(ルチャドール)たちはどのように移動しているのか?
ここではちょっと古いが、筆者がトリプレア(以下AAA)に所属していた98年を振り返りながら、どのように会場へ向かっていたか紹介してみよう。
日本でも有名なCMLLは、メキシコシティに本拠地アレナ・メヒコと、アレナ・コリセオを持ち、毎週火、金、日メヒコ、土曜コリセオで興行が行われている。
それ以外にもアレナ・プエブラ(月)、アレナ・コリセオ・デ・グアダラハラ(日、火)の2会場でも決まった曜日に興行が開催されているため、所属選手の移動にかかる負担は少ない。
もちろんそれ以外の興行では長距離移動をすることもあるが、オポジション団体AAAに目を向けると、こちらは定期会場を持っていないため、仕事の90パーセントが地方都市への遠征となる。
AAAでは月に3~5回ほどテレビ収録大会が行われていたが、この時は貸し切りバスが用意され、日本のプロレス団体と同じような移動となる。
テレビマッチデビューの選手がいた場合、試合後の移動バスでは「バウティソ(洗礼)」と呼ばれる儀式が行われる。
これは、新入りの選手が上半身裸になって、全選手からチョップを受けて胸を真っ赤にはらし、「Bien venido a AAA」(ようこそAAAへ)と、祝福される歓迎の儀式なのだ。
ちなみに筆者はテレビマッチデビューが、トルーカ。次がネッサワルコヨというシティ近郊都市だったため貸し切りバスがなく個人での移動で、いいのか悪いのか、なんとなくこのバウティソから逃れている。
肝心なのはテレビマッチ以外の会場移動で、これは一部のトップ選手を除いて、自らバスターミナルでチケットを買っての長距離バス移動となる。
ちなみにメキシコの高速道路は意外と発達しており、長距離バスもオンボロということはなく、トイレ完備の清潔なものがほとんどだ。
当時のAAAの黄金コースは日曜モンテレイ、月曜ヌエボ・ラレードで、これにプラスしてその近郊でも試合があると、この週は売れっ子ということになる。
一例として当時の筆者の記録を見ると、
10月25日(日)モンテレイ
26日(月)ヌエボ・ラレード
27日(火)シウダ・アクーニャ
となっており、定期会場を持たないAAAで、3日連続で試合が入ることは珍しく、非常にうれしいのだが……。
……反面悲しくもあるのだ。
というのは、シティからモンテレイまでの移動には、バスで片道12時間を要するからだ。
そこからラレードへは、さらに北に3時間移動する。
アクーニャに至っては、更にラレードから2~3時間の移動ではすまなかった記憶がある。
3試合をやりおえ、シティに帰るには、少なくみても18時間以上かかってしまうのだ。
飛行機移動できるのは、ほんの一部のスペル・エストレージャ(スーパースター)だけだ。
そんな長距離移動で最も印象的だったのは、シウダ・ファレスへ行ったときのこと。
アメリカとの国境にあるファレスへは2回ほど行ったが、片道24時間かかるため、なかなか過酷な旅となる。
シティの北バスターミナルから試合前日の朝に出発。車内ではモニターに流れている映画のビデオを見るぐらいしか、やることがない。
よかった点といえば、比較的新しい映画を流すので、当時の最新映画は結構みることができたことぐらいだ。
そのうち太陽がバスの右側から左側へ移動し、日差しの向きが変わっているのが肌で感じるようにわかる。
そんなのがわかるぐらい車中はひまなのだ。
あたりはだんだんと暗くなるが、高速道路には街灯がないので、窓の外は何も見えなくなる。
ウトウトしていると、やがて太陽が昇ってくるのを感じ、あと少しだ、と自分に言い聞かせる。
現地に到着するまでに、朝→夜→朝と丸一日を過ごすことになるこの旅は、飛行機で日本に帰るよりも車内にいる時間が長く、やることもないので精神的にきついのだ。
帰り道では早くシティに帰りたいがため、数十キロごとに道路わきにある、主要都市名とそこまでの距離がかかれた道路標識をひたすら目で追う。
標識を探していると、それとは別に数字が書かれた杭が数キロおきに、中央分離帯に刺さっているのに気がついた。
バスが先に進むごとに数字はカウントダウンしていっているので、それがメキシコシティまでの距離だとわかると、「あと何キロで到着!」と祈るように心に言い聞かせる。
初めてファレスに行った時は、途中道路工事による交通渋滞があり、往路で27時間かかったので、往復でバス移動に51時間を要した。
更に本来は試合が終われば、そのままバスターミナルへ向かってメキシコシティへと帰るところを、この時は集客が悪く、プロモーターが選手にギャラを支払えず、金策に走っている間、翌日夕方までホテルで待機させられ、出発がだいぶ遅れたので、結局1試合のためにまるまる4日間を費やしてしまった。
たまたま1回目にファレスに行った時は6月のサマータイム開始日、2回目が11月の終了日で、それぞれ車内で一時間の時差変更を経験したため、時差ボケを感じなかったのが数少ない良かった点かもしれない。
ルチャの人気が高まり、興行数が増えれば中堅クラスでも飛行機移動できるようになるのだが、98年は一度底辺に落ちた人気が、ちょっと盛り返してきたところで、まだそのようなわけにはいかなかった。
数年後日本の友人に「水曜どうでしょう」のDVDをもらい、「サイコロの旅」を拝見したが、筆者たちの旅が「キング・オブ・深夜バス博多号」を凌ぎ、知らず知らずのうちに、大泉洋たちに負けないほどの旅をしていたのに驚かされたのだった。