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あの頃の邪道&外道’88&’93③(終)

電話をかわった外道さんが、あわてふためいている。

二人の引っ越し先であるホテル・モンテマルは、ぼくの住むペンション・アミーゴから徒歩圏内なので、電話を終えるとそのまますぐに向かうことにした。
新しい部屋に移った二人は一見落ち着いて見えるが、いつもに比べ興奮しており、言葉数が多い。ホテル・サンディエゴでは部屋に荷物が散乱していたが、とにかく手元にあったあらゆるバッグに、あわててそれらを詰め込んで出てきた様子が伝わってきた。

「よく荷物まとめられましたね。」
「いや、本当にやばいんだって。殺されそうになったんだから。」

いつもなら「うるせえ!」と言われるところだが、そんな余裕も今の二人にはない。電話では一方的にまくしたてられ、話をおおげさに言っているのかと思ったが、どうやら本当に危なかったことが徐々にこちらにも伝わってきた。

「撃たれてはいないんですよね?」

「おれたちは撃たれなかったんだけど、あいつ部屋を出ていったあと、外で撃っているんだよ。銃声が聞こえてさ。」

相手が持っていた拳銃が本物だったと知り、血の気が引いた。

「いったい何があったんですか?」

「おれたちにもよくわからないんだよ。ホテルの廊下歩いている時、部屋のドアを開けっぱなしにしている、うるさいやつがいるなって思って通りすぎたんだよ。そうしたら部屋の中から出てきて「今見ていただろう!」って因縁つけられてさ。それで「ノー」って言って一度は話が終わったと思ったんだけど、今度は銃を持っておれたちの部屋に押し入ってきたんだよ。そいつ警察官なんだけど、クスリやっているんだよ。そいつと一緒にいた女に助けを求めようとしたんだけど、その女もイッちゃってて、「やっちゃえ!やっちゃえ!」って男のことをあおっているんだよ。」

「頭に銃突きつけられたんだよ、心の底から「殺さないでくれ」って言葉が出たよ。」

その数週間後、ふたりはW☆INGへの参戦が急遽決まり、日本に帰ることになった。現地の雑誌に掲載された最後のインタビューで、「こんな国、もう2度と来ねえ。」と言ったのは本音だろう。

ウルティモ・ドラゴン選手とブラック・パワーの車に分乗して深夜の空港まで見送りにいったボクには、二人が使っていた炊飯器とどんぶり、そして日本から持ってきた大量のマンガが残された。

最近はだいぶマシになったが、とにかく当時のメキシコの食事は日本人に合わない。身体を作らなければならないレスラーにとっては、越えなければならない壁である。
二人はそれを解消するべく、日本から炊飯器を持ってきて、ホテルで炊いたごはんにマヨネーズやふりかけをかけて日常的に食べていた。高地のメキシコシティは沸点が低いので、日本のようにきれいに米が炊き上がらないが、それでも炊飯器があれば食生活が全然違ってくるのだ。

山のように残されたマンガは、ペンション・アミーゴの共同スペースの本棚に入れようと思ったが、とても収まりきらない。2年前の最初のメキシコ修業の時には、二人は相当娯楽に飢えていただろうことが伝わるものだった。

その後しばらく会う機会がなく、月日の経過とともに、ボクの中で二人は怖い先輩という感情ができあがってしまった。そして97年4月、世話になっているビクター・キニョネスに会いに、FMWの横浜アリーナ大会に行ったときのこと。この日のバックステージには、ペンション・アミーゴの同室で暮らしていたハヤブサ選手や畠中浩旭選手をはじめ、顔なじみの記者の人などが多く、再会を楽しんでいた。通路である人と話しをしながら歩いていると、扉にはられた「冬木軍控室」と書かれた紙が目に入った。

「やばい」

ここには邪道さんと外道さんがいるのだ。
と思うやいなや扉が開き、中から邪道さんが出てきた。
ボクはそのままその場を通り過ぎ、ごまかそうとしたのだが、その先はすぐ行き止まりだったため、どう見ても不自然だった。
壁の前で立ち止まり、そーっと後ろを振り返ると、怪訝そうな顔でこっちを見ている邪道さんと目があった。

「お前、こっちにこい。」

控室に連れて行かれると、「今どこの団体でやってるんだ?」「最近誰と試合した?」と邪道さんと外道さんに近況を聞かれ、ちょっと気にしてくれている様子が伝わってきた。
その後邪道さんに水鉄砲の的にされる手荒い歓迎はあったものの、会った時にはうれしさと懐かしさが感じられた。しかしその翌年、大日本プロレスで邪道さん外道さんと初対決を行ったTAJIRI選手から、ぼくに恐ろしいメッセージが伝えられた。

「邪道さん外道さんとはほとんど初対面だから、試合前にあいさつにいったんだよ。「お疲れ様です、今日はよろしくお願いします。」って。そしたら向こうの第一声が「お前、小林の友達だろ?今度あいつに会ったら○すぞって言っておけ。」って。初対面で最初の一言目がそれだよ!?おそろしくなったよ。」

 その後選手を引退し、プロレスを取材する側にまわったボクは、05年にメキシコ遠征にやってきた邪道さん外道さんと再会した。最初こそぶっきらぼうだったものの、○されることもなく、不思議なもので買い物につきあっただけで、ものすごく感謝されるようになり、優しくなりすぎた二人は逆に怖いぐらいだった。
そこからはだいぶフレンドリーに接してもらえるようになったのだが、それでも後輩という立場から、二人に会うときには常に緊張感がつきまとっていた。
ある時アメリカでの取材時に、様子を察したオカダカズチカ選手がボクに聞いてきた。

「ひょっとして外道さんのこと、怖がってます?」
「うん、ちょっと…」

これを聞いていた外道さんが、ブチ切れた。

「小林、てめえ、50歳に片足突っ込んでいる人間が、何がいまさら怖いだ!!」

それからはまたメキシコ時代のような関係に逆戻りしたが、不思議とそのほうが心地よいのだ。

 単身メキシコに渡ったボクには、この世界で先輩と呼べる人が非常に少ない。当時近くにいた先輩はディック東郷さんと新日本の金本浩二さんだ。
この二人は友達感覚でつきあってくれたので、非常に接しやすかった。一方で邪道さん外道さんはぼくのことを考えて、あえて怖い先輩というルードを演じてくれていた気もする。

後日ある先輩レスラーに、アメリカ取材時の外道さんに怒られたことを話すと、こんな答えが返ってきた。

「先輩はいつまでたっても怖いもんだよ。それが当たり前。」

その人にも絶対的な先輩レスラーがいることから、説得力がありすぎる意見に思わず納得してしまった。

ああ、これ読まれたら、また怒られそうだ…。

終わり

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