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日蓮上人の鎌倉を巡る旅

歳の瀬になったので、映画や文学に取り上げられる事もしばしば、当時から今でいうキャラ立ちしている日蓮上人が鎌倉に残した足跡を巡る旅をしてみた。

企画したコースは、日蓮乞い水―安国論寺―妙法寺―本興寺―常栄寺―日蓮上人辻説法跡―極楽寺―日蓮袈裟掛松―龍口寺(藤沢)

とはいえ、もう午後1時。半分廻れれば良いかな?と気楽な気分でスタート。

鎌倉駅前から3番乗り場、緑が丘入口行きに乗る。鎌倉駅前はいつものように人が溢れてる。歳の瀬も観光客が、圧倒的に多い。様々な国の言葉が行き交ってる。韓国語、中国語、英語に混ざって時折、日本語が聴こえる。そのちょっと頼りない日本語の聴こえる方を見るとアジアの顔ではなかったりする。

今日行く場所は、その喧騒から一番離れた場所なのでどうだろうか。

バスの中は座席が埋まる程度の混み具合で丁度よい。ほぼ地元民だろう。通路を隔てておじさんとおばさんが両脇の椅子に腰掛けて喋ってる。

「もう今年も終いだね」
「急に寒くなってたまんないね」
「乾燥してるから気をつけなきゃね」
「火事なんか起こしたら大変だからね」

おそらくは中世から何回繰り返されてきたかわからない会話。他愛なく聞こえるが、明日は知れぬ運命と思えば祈りの言葉と感じる。昨日は人の身今日は我が身、天災にしろ人災にせよ明日は知れぬ運命ならば、お互いを我が身を気遣う言葉は、今日を寿ぐ祈りだろう。

そうこうするうちに、バスは三角帽子の載った駅舎を出て由比ヶ浜の方へ動き出す。冬の陽光が眩しい。降り注ぐ太陽のごとく明らかに蓮華の如く清らかでいたいと生きた日蓮さんと出会えるのだろうか?と期待する。

同じ念仏でも南妙法蓮華経は南無阿弥陀仏に比べるとリズムが良く陽気だと誰かが書いてた。比べるものではないと浄土宗の人には怒られそうだが、皆の衆は、どの時代も陽気な音楽の方に惹かれるのだ。呟いてみるとわかる。  

各停留所に一人ずつ降りる人があり、先ほどのおじさんとおばさんも降りていった。

南無妙法蓮華経。

わたくしも長勝寺のバス停で降りて、日蓮乞水のあるところに向かう。 

バス停を降りるとあったランドマークは焼却場の煙突。今日も煙が出てる。

鎌倉と逗子の境にある煙突

なんだか境に来るとワクワクするのは昔から変わらない。踏み越えてよいのか、踏み越えてはいけないのか。踏み越えたら戻れないのか、戻れるのか。悩みどころだ。まあ、踏み越える時は大抵が思考停止してるのであとの祭りだけれど……。

それはともかく、境界のそばには大抵不思議なものがある。こっそり覗きに行こう。

電車の音が響き、蓮華が揺れる場所

1254年(建長6年)、名越切通を越えて鎌倉に入った日蓮。水を求めて持っていた杖で地面を突き刺したところ、こんこんと湧き出したとされる。イリュージョン!その水が大町大路から名越切通へと通じる路地にある「日蓮乞水」。

今でならガイドブックの『新編鎌倉志』に寄れば、「日蓮乞水は名越切通に達する路傍の小さな井戸を云う。昔日蓮が房総より鎌倉に来る時、此処にて清水を求めしに俄かに湧出せしとなり大旱にも涸れる事なしとぞ、鎌倉五名水の一なりと云う」と紹介されている。

実際に見に行くと、井戸の形をしているが、元はあいている穴から湧き水がでていただけであったという。石碑には「南無妙法蓮華経日蓮水」と刻まれている。先ほど降り立ったバス停の前にある長勝寺には、鎌倉十井の一つ「銚子ノ井」もある。

その長勝寺に行く前に折角だから名越切通しまで足を伸ばすことにする。なかなかの行軍になりそう。

ミドルのカップルがずんずん行く
隧道が続く
山あいの煙の葬儀場

トンネルを抜けると見覚えがある道だと思ったら、とし子さんのお葬式できた斎場に至る道だった。お引き合わせなのか?思わず手を合わせる。

今年逝った人たちの顔が浮かぶ。T子さん、Iさんのお母さん、H子さん、谷川俊太郎さん、篠山紀信さん、西田敏行さん、小澤征爾さん。同時代に生きて、指針を示してくれたり、楽しませてくれた人たち。

やはり、鎌倉は生者と死者の境が揺れている地。彼岸にいる人が近くに感じる。

白い小菊

岩盤に一輪の小菊が、手向けられた花のように咲いていた。

南無阿弥陀仏。合掌。

名越は、超えるのが難しい山。難越から来た地名らしい。鎌倉から逗子を結ぶ重要な道であったとはいえ、ほぼ人力で岩を削ることを考えると気が遠くなった。感嘆と今の時代に生まれた幸運に感謝して去ることにした。

日蓮はこの難所である名越から鎌倉に入入ったわけだ。

次は長勝寺に行ってみよう。

つづく


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