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定年前の準備は一汁一菜のごはんから
久しぶりにTに会った。半年ぶり。昨年から、なんとなく年2回くらいは会うようになった。
彼は高校時代の同級生。卒後は大学の時に何度か会っているけれど社会に出てからは交流が途絶えていた。しかし、今やSNSの時代、職場に突然電話がかかってきた。内容は親の介護相談、そこから旧交が復活した。その親御さんも無事に介護施設に入居することができ、少し安心できる時期になった、というわけだ。今は、何気ない雑談をすることが目的で会っている。お互いに境遇も似ているので話が飛躍してもどこかでかみ合っているのであまり気にならない。境遇が似ているというのは、わたくしも彼も経済的な問題で大学を中退し、職業を決める時期に様々な仕事(アルバイト)をしたが、何とか自分にあった仕事に出会い、これまで生き抜いてきた事だ。さらに、結婚はしたものの離婚をし、今やひとり身なので、自分の人生の岐路においては、いろいろなことが決断しやすいということも共通点だ。どちらかというとデラシネ体質。
ところが、この半年以内にTを何回か誘ったが、なんやかや理由をつけられ敬遠されていた。察するには、耳の聞こえが悪くなったことが原因で落ち込んでるような印象なのだ。そもそも、ブルース・リーに傾倒し武道に打ち込んでいた彼は、わたくしと違い病気になったこともない健康優良シニアなので気持ちが塞いでしまったらしい。ネガティブな事でも体験や免疫がなければダメージは大きい。そのため、こちらから誘うことは避けていたが、年末だからなのか、何かが吹っ切れたのか、彼から誘いがあったので会うことになった。
そこでシニアあるある話を振ってみた。若かりし頃は、バイト先などで簡単に若者に無理を言ってきたよね、的なエピソード。職場で仮眠をとらせて3連勤などを「○○君ならできるよね」と言われ、こちらもお金がもらえるならと二つ返事で引き受けた上になんとも思ってなかったことなど。今や昔の馬鹿話と半笑いしながらも、今の体力、気力を考えれば、そこはかとなく淋しさも感じる。
何か引っかかるかなぁ。
わたくしの場合は、すでに生活の中で仕事を第一にすることから足を洗っている。今は何ともないけれど、病気になったことで考え方が変わった。
そもそも病気になる前から心身のピークは過ぎていることを感じてはいたが、これまでの人生がなんとはなしに続いていくだろう思っていた。惰性とこれまでの経験値で定年までを走り切ろう、という甘い考えだ。実は仕事へのモチベーションや仕事に求める価値は明らかに30代、40代から変化していることに気づいていた。コロナもあったけど病気になったことが決定的に「このままではいけない!」という警鐘を鳴らしてくれたので転職に踏み切れた。実際に、子供は自立し、お金は必要以上に欲しいと思わなくなっていたことも大きい。
そして、転職したことで、仕事内容は直接現場でクライエントと向き合える環境になり、やりたくない仕事をするストレスは減じた。経験や年齢を重ねたことによって「人の悩み事、困りごとはすっきり解決できないことが多い」という厳然たる事実がはっきりと理解できたので、やたらに問題解決を急がず、待つことができるようになったこともストレス減の要因だろう。
彼も話はじめた。やはり人生を変える転機に来ているということだが、具体に何を決めているという事ではない。ともすれば、収入をどう確保するの?ということになりがちだけれど、この転機は仕事中心の人生からのリタイアなのだと思う。
怪我や病気、老化で能力が低下したりすれば、当然のことながら仕事や生活に支障が出る。そこに落ち込みの原因があることは話さなくてもわかっていた。次の道に進むなら、熟慮するがよい。誰にだってストロングポイントはあるので、その強みと実世界とのマッチングをしっかり考えた後につなげればよい。私は彼のストロングポイントならばいくつも数え挙げることができる。けれども、どこまでいっても「人は人、自分は自分」である。自分で気づき決断するほかない。先ずは、自分の今をしっかり見つめることが大切だと思う。そして、アンテナを張り、今の実世界をしっかり見通すことだと思う。
これもシニアあるあるなのだろう。定年の時もしくは定年が近づいた時、大きなテーマは「今後どう生きていこうか」ということなのだ。その答えは、どこに軸足を置くかが大きいポイントなのだろう。
まあ、こんな話はしていないけれど、話したような気はしている。笑
お茶を入れている間に、彼がなにげに我が家にあった本を眺めていた。
その本は、土井善晴著『一汁一菜という提案』
「これいいよ、お奨め」
「やってるの」
「おー、続いてるよ」
「何なら食べてく?」
「興味あるわ」と即決。
用意したものは、もちろんたいしたものではない。
ご飯茶碗によそった白米の上にちょっと焦げたアコウダイの粕漬。お弁当の残り笑
お椀には、ネギと豆腐の味噌汁。出汁は昆布と鰹節、味噌は北陸と仙台の適当な赤味噌のブレンド。
香物の小鉢は大根の塩昆布和え。
流石に寂しいので、冷蔵庫の残り物を小鉢で2品。
ベビーリーフを敷いてその上に豚肉の塩麹焼きを乗せた一品と豚小間と小松菜と卵のオイスターソース炒め。
これを益子焼の陶器に盛り付け、半月盆に乗せれば味はともあれ趣のある姿になる。結構、感心してくれていた。
「なんかさ、旬のものとか食べて自然を感じるのもいいよ」
「だいぶ、気候狂ってるけど、それでも季節は巡るからね」
と、土井さんが語る「もののあわれ」のようなことも添えておいた。
その本は彼に進呈した。
そしてまた、ひとしきり世間話をして彼は帰っていった。
次の日のライン。
「遅まきながら、和食や味噌汁を大事にしてみるよ」
「おう、こちらも一日一日の生活を楽しむよ」と思ったので
「おけ」とだけ送った。