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続・一遍上人の鎌倉・藤沢を巡る旅

さて、一遍上人の法難が起こった小袋坂(こぶくろざか)の木戸があったのは北鎌倉駅前のあたりとのことだけれど、当時の雰囲気を味わいに鎌倉駅から、ひとまず亀ヶ谷坂(かめがやつざか)を抜けて通行止めとなっている巨福呂坂(ごぶくろざか)まで行く事にした。

お正月の小町通の光景、鶴岡八幡宮まで人がぎっしり詰まってた。ここを通ったら巨福呂坂までたどり着くまでに体力がジ・エンドとなりそうなので、駅の西口に向かい今小路を抜けていく事にする。思った通り普通に歩けた、良かった。

亀ヶ谷坂に行く途中に岩船地蔵堂があったのでちょっと寄り道。ここは、源頼朝と北条政子の長女、大姫の守本尊だ。藤沢周の小説「鎌倉幽世八景」では市女笠ではなくビニル傘を差し、草履ではなくゴム長を履いた老婆が「……入間川まで……連れていけ」とつぶやく場所。木曽義孝を慕った大姫が憑依した老婆にもその人生行路の中に悲恋の物語があったと思うと切ない。

地蔵堂にはお正月の花が飾ってあった。あの不遇な死を遂げた大姫を今でも大事に思う人がいるのが窺い知れ、ちょっと胸あつになった。いつの時代にも大人の事情に翻弄されている子供たちがいる。罪滅ぼしの地蔵堂か。

岩船地蔵堂を山ノ内の方へ登っていけば亀ヶ谷坂。平坦な道でせかせか歩いてたら汗をかいたけど、切通に入ったら急に冷気を感じた。なんかこの寒さ違う。しかも小町通りと比べれば、うってかわって人がいない。

中学生らしき4人のグループが後ろから登ってきた。子どもたちらしく、お喋りしながら。やっぱり、同じ感想。「ちょっと、ここなんか寒くね」「なんか、怖いわ」

物の怪がいるかもよ、と言いたくなった。

岩肌が猛々しい

切通しは、「くわ」で穴を掘り、「すき」で壁を削って「もっこ」で土を運び出すという作業を人海戦術で行ったというのだから恐れ入る。

落石注意
山の格好が似あう道
戦の舞台となった切通
あちこちにあるやぐら
シダ植物の密生しているところもあった

亀ヶ谷坂を抜けると薬王寺、長寿寺がある。この辺りにもやぐらは多い。

巨福呂坂洞門に八幡方面から歩いてくる人がゾロゾロ

今日のテーマは、一遍上人が入ることのできなかった鎌倉だった。このトンネルも巨福呂坂切通しと表記されていることもあるが古の面影は薄い。

巨福呂坂の岩盤に建つイタリアンレストラン。いろいろな意味でスリリング。こんどはぜひ寄ってみたい。

急坂を登ると行き止まり


庚申塚があった。


巨福呂坂探訪はあっけなく終わってしまった。今日は一月二日、この高台にも、鶴岡八幡宮から、ひっきりなしに拡声機で安全を呼びかける声が響いてくる。三が日の人出は、例年250万人と言われている。まずは六十万人に念仏札を授けようとした一遍上人はついぞ、賑わいの地鎌倉には入れなかったのだ。

しかしながら、一遍上人一行は、片瀬浜へ向かい、そこで踊り念仏を行った。簡単にはへこたれない一遍上人にまたひとつの新しいアイデアが生まれた。それは櫓を組みあげた舞台の登場。それまでは、地面で行っていた踊り念仏を一段高い踊り場で披露したのだ。

ひとりでも多くの人に見えるようにとの配慮は、今ではオーロラビジョンになってコンサートや野球場で人々を魅了している。随分と隔たりがあるな、大分違うじゃんと笑われそうだが、出発点の志は変わらない。広告の原点ともいえよう。ひとりでも多くの人が共感すればするほど大きなエネルギーが湧き上がり、到底無理だと思われていたことも実現してしまうのだ。

盆踊りを思い起こさせる櫓。江ノ島では今でも盆踊りが地域の一大イベントとして根付いているのもその名残りかもしれない。

次は、タイムトラベルして、元旦の遊行寺に戻ってみよう。

元旦に遊行寺を訪れていた。おそらく15年ぶりくらい、大変綺麗に整備されて見どころがたくさんあった。昔ながらの屋台は、キッチンカーなどに変化していて時代の小さな変化も感じた。

総本山の迫力
初詣客がたくさん
イエローのキッチンカーが映える
等身大の六地蔵がお出迎え
凸凹感が良き
穏やかなお顔
諏訪神社には神輿が二基
一遍上人もお出迎え
南無阿弥陀仏
お香が烟る
お参りしよ
登霊台は徳川治宝の染筆
迫力ある狛犬
潔し、椿の花
歴代上人を祀る墓
遊行寺には弁財天も似合う
1356年に作られた梵鐘
三宝の松
寺務所
宗旨がわかりやすい

寺務所にとてもわかりやすい宗旨が掲げられていた。誰でも入りやすく両手を広げて迎え入れられるような安心感を与えられる。

縁なき衆生は度し難しと言うけれど、すべからく人の心次第。何をもって救われるか?現代では星の数ほど信仰の対象があり一人ひとり違うもの。

もちろん宗教でも良し、音楽でも良し、文学でも、スポーツでも、踊りでも、なんでも良し。自分が救われると思うものと出会って慰められるのならばそれで良いじゃないか。しかも、ひとつには限らない。

一遍上人も踊り念仏の際に唱えるのは「南無妙法蓮華経」でも良い、と太っ腹なことを言っていた。

もうここまで生きてきたら、なんでもええじゃないかが本音。

世界の目まぐるしい動きからはドロップアウトしたい気持ちも起こるが、もうしばらく世界の片隅から濁り始めた眼で変わるもの変わらないもの、見えるもの、見えないものを眺めてみようと思う。悟りの訪れることのない遊行の旅でも結構。一遍上人も700年後の未来にまさか自分の銅像が残るとは生きていた頃には思いもしなかっただろう。


年末年始にかけてのミニトリップ、なかなかに良いものだった。


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