トランプ再選の朝
11.7の朝、アメリカの大統領選でトランプが再選された。トランプ陣営の歓喜とハリスの失望が、テレビやスマホの箱の中で踊っていた。アメリカに住む人々の分断された悲喜こもごもの光景や他国が警戒感を強めている様子を現す映像が盛んに映し出されていたのを少し見たが、日本の朝の出勤風景はいつもと何ら変わりはない。しかしながら、不安を溜め込み表出しない気質の人々の顔に憂いを感じるのは穿ち過ぎでもないだろう。これもいつものこと。
今日は夢見が悪く、危うく遅刻をするところだった。どうやら、夢を見るときは、言葉にならない、なんとはなしの不安に起因しているようだ。目覚めが悪い、夢はいつまでも記憶に留まらないので書き留めておこう。こんな夢だった。
☆
夢の中で、僕はエフ君の支援をしていた。エフ君は、重度の障がいを持っている。身体は小さく体重は30キロくらい。いつも寝ているので胸のあたりが平べったかった。ずっと寝ていると喉に痰が引っかかってむせるので身体を起こすことと、痰を吸引することが欠かせない。ちょっとでも怠ればすぐに肺炎になってしまう。彼は、生まれてからずっと自分の生命を常に人に預けている。感情が高ぶると全身に緊張が走って声が出るが、いつもは穏やかな人。今で言えばイケメン、イケボ、顔も声も良い。飛び切りの笑顔が切り札でみんなの人気者だった。支援員(特に女子)はみんなが関わりたがっていたが、不器用な僕と言えば、その生き方やまとわりつく雰囲気が眩しく感じられて遠巻きに見ていた。彼は、優しい人でもあり、グループに不穏な空気が流れると敏感に反応して抗議をすることもあった。オォッと唸り声を出しながら皆を諫めた。
そんなエフ君と30年ぶりの邂逅。なぜか、いま目の前で二人きり。他の職員が誰もいないのかなと不安になるが、誰もいない。薄明かりはさしているが仄暗い部屋。その中で、彼は全身を震わせ人差し指を立てて、「起こして!」と訴えている。彼の介助をあまりしたことがなかったので、体に触れる前から僕にも緊張が走って手が震えている。自分の震えを感じたら息苦しくなってきた。意を決して彼の身体を抱く。思った通りに彼の身体は固くなっていてお互いの身体が触れ合う面積が少なく安定しない。こんなときは、少し緊張が取れるようにとこちらの身体の力を抜くしかない、と考えてるうちに彼の身体の方が柔らかくなった。どうやらエフ君の方が一枚上手のようだ。そりゃそうだ。いつも、かわるがわるいろんな人に生命を預けているのだから。気がついたら、僕の顔には汗が噴き出ていた。
しばらく呼吸を合わせていると、リラックスしてきた。このままゆっくりしていたいなと思う。こうしてるうちに誰か来るだろと高を括っていた。気持ちはよくなってきたけれど、いつまで待っても誰も来ない。少し不安になってきた。すかさずエフ君の身体が強張ってきた。彼のセンサーは優秀。また、力を抜く。
しばらくしたら、エフ君が「外につれてって」とせがんできた。どうやら海が見たいらしい。言葉はないけれど、いいたいことはわかる。ちょっと焦った。彼の身体が軽いとは言え、30キロはある。僕に抱きながら連れていくことができるのかな。
☆
場面は代わり、そこには広がる海があった。波は荒く水しぶきが飛んでいる。
ちょっ、待てよ。のんきにしている場合じゃあない、腕がじんじんしている。彼を抱き始めてからどれくらい時間が経ったのかもわからない。波打ち際まで、かなりの距離がある。どこを通ったら良いのかさえわからない。エフ君はと見れば身体も顔も強張ってる。
ふと横を見ると、見覚えのある顔があった。誰だか名前を思い出せないが、一緒に働いていた支援員の同僚。助け舟が来た、と思ったが、いじわるそうな顔で手を貸してくれるそぶりはない。そう言えばいつも何を考えているか読めない人だった。これは限界まで頑張るしかいないと波打ち際まで降りていくことにした。
もう腕の感覚はない。すると、いつの間にかエフ君は、短髪ででっぷりとした体格の良い同僚の腕に抱かれていた。そうだ、彼はTだった!と思ったら、海に背を向けていた二人が真っ逆さまに落下していったのが見えた。覗き込むと小さな波しぶきは上がったが、何の音も聞こえなかった。
Tはすぐに波間から顔を出した。エフ君はどこにいるの?簡単に見つかるはずがないが、海まで走って必死に探した。いない。
聴こえてくるのは荒い波の音。
突然「居たっ」とTの声がした。「良かった、良かった」と被せるように叫んでる。
声の方を見てみると、そこには身体中に黄疸が出ている遺体が浮かんでいた。見慣れた気もするが、すでに誰なのかは判然としない。海の中にゆるく崩れたS字型のカーブが描かれている。
暗転。照明が切れて目が覚めた。
エフ君は何を言いに来たのだろう。
蛇足でしかないけれど…。
生まれてから死ぬまで誰かに生命を預けたり、握られたりしていることは、どんな人でも変わらないだろ。その先に何をみつけるかに違いがあるんだよ、と言いたかったのかな、と思った。
誰だってひとりでは生きられないのだからさ。
黄色くなった遺体に無数の魂が詰まっているような気がしてきた。