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鎌倉散歩 鎌倉最古の大銀杏は、荏柄天神社にあり

今日は荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)へお礼参り。鎌倉観光文化検定が終わったのでその御礼。もうひとつの目的は、鎌倉で一番古いと言われる大銀杏がそろそろ見ごろでは?と思いたったこと。いざ荏柄天神社へ。

鎌倉でも古い神社の荏柄天。創建は1104年。

当時、荏草郷(えがやごう)と呼ばれた里があったとさ。

いつものように野良仕事をしていた村人たち。すると、急にどす黒い雲がを覆ったので皆で空を見上げた。

すると天神画像がひらりひらりとお下りになった。

天神画像ってなに?:そもそも天神信仰は、左大臣藤原時平の讒訴によって、筑紫国(福岡県)太宰府に左遷、同地で不遇の死を遂げた菅原道真〈すがわらのみちざね〉の怨霊を鎮めるために起こったもの。天神画像は、礼拝像として描かれた道真の絵姿でおわす。

村人たちは、恐れおののき、頭をかかえ、寄り合いを開いた。知恵を出し合いその場所に社殿をたて絵を納めて祀った。ようやく菅公のお怒りを鎮めることができたそうな。

そして、その天神画像が降りた場所を踏まないように銀杏を植えたそうで、それが今や鎌倉で最も古い銀杏の木。銀杏のお持ち帰りはダメよ!の立て札もあった。持ち帰ると菅公に怒られそうです。

黄葉までもうちょい
立派な佇まい
樹齢900年、御神木のド迫力!

なかなかのファンタジー。道真公の怨念はすさまじいものであったことが分かる。亡くなった後に天変地異が続いたことで当時の人々がおびえたのだろうか。

というわけで、荏柄天の天神座像と天神立像(鎌倉国宝館に寄託)はいずれも憤怒の表情。怒り天神と呼ばれているそう。目がぎょろっとしていて恐ろしい。

わたくしの中学生時代から、学生服と言えば「カンコー学生服」はトップメーカーのひとつだった。後に知ったことだけど、カンコー=菅公さまだった。なるほど~学問の神様だからね、という平凡な感想だったけど。藤原時平の讒言で左遷され、失意のうちに亡くなった道真公。怨霊になるほど学問への志に未練を持った人だったのだ。改めて今日知ったわ。わたくしも残された時間で少しくらいは勉強しよう、と反省した。ちょっとだけ。

境内には、もともと二階堂の鎮守だった熊野権現もある。

集落の守り神が鎮守


近くに鮮やかな千両が咲いてた。
やぐらのなかにある社

残念ながら、私に霊感なるものはないのだけれど、ちょっと霊気を感じるような厳かな空間だった。恐る恐る中を除いたら防空壕のような感じ。人が入れそう。

もう一つの見どころは、かっぱ筆塚と絵筆塚。
毎年、1月25日には筆供養があり、絵筆や毛筆、鉛筆などを焚き上げる。
かっぱ筆塚には川端康成揮毫の「かっぱ筆塚」が揮毫されている。暗すぎて写真が撮れなかった。彫られた字も少し見えにくい。階段を登って絵筆塚の方へ。

絵筆塚にはかっぱのレリーフが張り巡らされている。

ドラえもんのレリーフもあった。

家族連れが絵筆塚まで登って来た。「これ見せたかったんだよ」とドラえもんのレリーフを指さすお父さん。小学生くらいの娘さんが「ほんとだドラえもんだ」といいつつ「でも、登ってくるまででもなかった」とつれないひと言。お父さん、ずっこけてた。優しいお母さんが「ほらこれ有名なかっぱの絵じゃない?」と小島功氏のレリーフを指さす。「ほんとだ、かっぱっぱー♪かっぱっぱー♪」と節をつけて息を吹き返したお父さん。なんだか、よい家族。帰ったら黄桜飲むのかな。

荏柄天神社のもうひとつの顔は大倉幕府の鬼門守護。いまや学問の神様として有名なわけですが、頼朝が大倉幕府を開いたときに、大倉幕府から鬼門(北東)にあたる荏柄天神社は鬼門守護の神社だったのだ。朱塗りできれいな本殿。鬼が来るのを恐れずに守ってたんだな。

合格祈願でいっぱい
受験当日祈願もあります。
門にも梅の模様が

初めて出会った人たちかな?望遠カメラを脇においてふたりで話してた。何気に聞こえた会話から、初めましてで話し込んでるらしい。縁結びの神様でもあるから色んな縁を取り持つのでしょう。

平和な時間だった。さあ、帰りましょ。

今年の紅葉は、随分と遅いけれど帰りの途で西日に照らされたきれいな紅色を見つけました。

ゆっくり、ひとつの神社にお参りするのも良きです。







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