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Baby talk

イタリアンテーマバー「本日のお品書き   candy」

店の前に置かれたウェルカムボードにそう書かれていた。客はサイドテーブルに置かれた籠に入っているキャンディを一粒ずつとると口に入れる。店員は客が口にキャンディを含んでいることを確認すると「いらっしゃいませ」と店の中へ案内した。

「この店なんかおかち(し)いでちゅね…あ…」
スーツの青年は口を押えた。自分の発言に大きな違和感を感じた。
「なに赤ちゃん言葉なんてはなちてるんだ…あ…」
青年の上司と思われる男性は自分も赤ちゃん言葉を話している事実に驚いた。
店内はテーブルごとにカーテンで仕切られ、他のテーブルに誰がいるのか見えないように配慮されていた。ただ、布なので声は聞こえる。だからほかのテーブルから普通に赤ちゃん言葉で会話しているのが聞こえてくる。
「こんなんでちごと(仕事)になるんちゅか…」
「するち(し)かない…」
「おち(し)な書きのキャンディってこういうことなんでちゅね。なんか悲ちいちいでちゅ…」
悲しいと言いつつ、青年は仕事よりも別の事に気が向き始めた。最近よく話すようになったクルミちゃんとこの店に来てみたいなぁと思いついたのだ。イタリアンだし酒もいろいろあるし、楽しいかもしれない。
「おい、ちゃんと観察ちないとダメだじょ(ぞ)?」
普段コワイ上司もこうしてみると全く怖くないしむしろおもしろい。録画しておいて同期に見せたいくらいだ。絶対にみんな喜ぶ。

ふたりは今日、店の調査に来ていた。おもしろいコンセプトのイタリアンバーができたと聞いてやってきたのだ。彼らは経営コンサルタント会社で企画を担当している。
「このイカちゅみ(墨)ちゅぱげっちー、おいちちょう(美味しそう)でちゅ」
青年は意欲的にメニューを見ているが、上司がイライラし始めた。
「気持ち悪いからあんまりちゃ(しゃ)べらないでほちい」
「…わかりまちた…」
こんな調子でちゃんと調査できるだろうかと上司は頭を抱えた。

翌日、出勤すると青年はクルミにロビーで会った。
「おはよー木村くん」
「おはようクルミちゃん」
一緒にエレベーターに乗った。
「昨日ね、へんなイタリアンの店に行っちゃったの」
その言葉にアレ?と思いながら青年木村くんは
「どんな店だったの?」
と聞いた。クルミは話し出した。
「友達と行ったんだけれど、飴食べたらしばらく赤ちゃん言葉になっちゃってね…最初は楽しかったんだけれど近くにいたおじさんたちもみんな赤ちゃん言葉で会話しててなんか不気味だったの…」
「そっか…」
それはまぎれもなく木村とその上司が行った店ではないか。
(まずい、これはまずいぞ…これであの店に誘ったら嫌われそうだ…)
木村くんはクルミをイタリアンバーに誘うのはやめることにした。そして自分も昨夜その店に行ったということは言わず、この話題にはこれ以上触れないようにした。
(別のいい店見つけよう!)
だがその店に行ったことはいずれクルミに知られることになる。

なぜなら木村くんはこのあと企画会議で報告することになっているからだ。

おわり











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