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離獄

恐怖の根源は「?」だ。分からない、知らない、理解できない。それだから、予想もできない恐ろしい体験、一生残る程の傷、ましてや死の可能性も容易に存在するという事だ。
それに対策もできない。完全な無抵抗。
こちらには敷かれた運命を辿ることだけしかできない。
それが怖い。怖すぎるのだ。
そして恐怖の根源をこれでもかと具現化したのがある。
それは闇だ。闇の中は真っ暗で、何処からか光が出ない限り目の前には黒しか無い。
それは何も無いと同時に全ての可能性を得る。
闇の先は何も見えなくて、ここから先は何も存在しないように見える。だが、見えないだけで本当はそこに食べ物がある。本がある。虫がいる。魚もいる。無論、化け物もいる。

厄介なことに闇は、自分達の住んでいる場所から遠く離れた森や海、廃墟にあるだけでは無いのだ。
日常のどこにでもある。机の下、ベットの下、クローゼットの中、一番分かりやすいのだと、夜。
全てを闇に包むにも関わらず、1日に1回は必ず、強制的に訪れる。拒否権などは無い。
代表的な闇。

稀にふわっと、夜の闇が人間を誘う時がある。それに流れつくと、闇の中へと連れてかれる。
全ての不明と可能性が混在した闇に飲み込まれてしまう。
それは怖い。
夜、自分の家の中に誰もいないが、床の軋む音や物が揺れる音がしたのなら、隠れたほうが良い。
闇が貴方を探している。
闇はいつも側に存在する。
側に存在するからこそ、他人事では無い。





23時20分。真夜中のことだ。
俺は尿意を催し、トイレへ向った。
用を足し、トイレのドアを閉めて廊下へ出る。
全身に鳥肌が立った。
「ん?あれ」
廊下の奥に誰かいる。
僕の部屋へ続く道は電気をつけているが、奴のいるところは電気がついていない。
だから暗くてよく顔がわからない。
でも家族ではない気がする。
また鳥肌が立つ。
奴はドッ、ドッ、と近づいてきた。
暗闇の中から一歩一歩大きな音を出して、威嚇するように、近づいてくる。
俺以外、誰もが寝静まった家で音を立てられるとここまで怖いものなのか。
俺は恐怖と同時に焦る。
こっちに近づいてくると顔が仄かに見えた。
顔は作りを誤った人形の様で、目がとにかく真っ暗で白い部分が無い。その黒い目はキラキラと反射していて、これが奴を物凄く気持ち悪くするのに作用している。
そして目は大きく見開いている。殺意の籠もっている目だ。
口はガコッと開いていて、歯が乱立している。こんな歯で噛まれたらとんでもないだろう。

恐怖が最高潮に達した俺は、下の階へと走って逃げた。
下の階は電気がついていないので真っ暗だ。
俺は怖かったが奴から逃れるために闇の中へ潜った。
玄関を出たらすぐに警察へ行こう。でも家族は……ダメだどうしよう、どうしよう。
だが体は止まらない。ひたすら足が玄関へと向かってしまう。どうしよう。

そろそろ玄関だ。玄関。玄関…。玄関…?

無い。玄関が無い。毎日玄関を通るわけだから感覚で場所は把握していた。だがそこにドアが無い。
そうだ。電気をつけよう。ボタン。ボタン…。ボタン…?
電気をつけるボタンすら見当たらない。いったん落ち着いこう。そうだ。壁を伝ってボタンを探ろう。
しかし、壁に寄りかかろうとした俺の体はバチンと顔面から転倒した。
訳が分からない。なんで?何処にいった?消えたのか?消えたか?
その問いには誰も答えてくれない。
違う恐怖が僕の体を満たしていく。
とにかく進もう。進んだら絶対に何処かの壁に突き当たる。話はそれからだ。

何分も前に歩いた。だが一向に壁の気配がない。拳を握ると果実を潰したかの様に汗が出る。それは止まる気配を見せない。
今まで生きてきた中で多分、今1番命に関しての危険を感じている瞬間だと思う。何気なく生きてきた人間に対して、この刺激は精神が狂いそうになる程だ。
自分がまともな意識を持っているうちに出口を見つけなければならない。
俺はまともな精神を保つためにとにかく走った。じゃなきゃこの闇の中に自分の体が吸われて、闇の一部になる気がしたからだ。何だ?俺は何を言っているんだ?
自分でも恐怖を上手く表現できない。これは混乱しているせいか?それともこの空間の魔力か?分からない。何も分からなくなってきた。というかなぜ今俺はここにいるんだ?
だってさっきまで家の中にいたよな。人間か化け物か分からない奴に襲われて、逃げてきて玄関に向かっていたらいつの間にかここにいたんだよな。どういう事だ?俺は闇の中にもう吸い込まれてしまったのではないか?あぁ。なんだよぉ。俺はこれからどうなるんだ?誰かが助けてくれるのか?それとも永遠にここ閉じ込められるのか?やばいまた恐ろしくなってきた。
不安や孤独などの恐怖を超越するほどの恐怖が俺に痛いほど抱きつくから苦しい。何だこの怖さは?分からない。分からないからとにかく俺は走った。

何時間も妻と子の名を大声で呼んだ。すすり泣きながら呼んだ。その間も常に恐怖に駆られていた。
声を出すと、後ろから何者かが俺に気づいて追って来ている気がする。だが後ろを向くとそこには闇が広がっていて、何も見えない。
あああああ!と叫び散らかす。しかしそれも虚しく、闇の中へと吸収された。どうしよう。どうしよう。怖い。怖い。怖い。俺がいる空間は、恐ろしく広いかも知れないし、そこまでの大きさではないのかもしれない。せめてそれだけでも知りたかった。でも俺の目の前には暗闇だけで、それ以外は無いのだから、ただ走ることしかできない。

彷徨い始めてから何日か経ったある日のことだ。
俺は、ぎあああああぁぁぁぁ!と悲鳴を上げた。なぜかというと、床に画鋲が落ちていたのだ。
そしてそれが俺の右足に何個も突き刺さった。
闇で見えなかったが、ここらの床には画鋲が何個か落ちていた。
足の下に痛みが染み渡る。とっさに尻もちをつき、右足の真ん中や親指近くの関節に奥までしっかりと食い込んだ画鋲を慎重に抜く。
血が出ている気がした。だが見えない。血が見えない。だから血が出てないかもしれない。そしてこの俺の足に刺さった物は画鋲ではないのかもしれない。見えないから分からない。
ただ分かるのは自分の感覚だけ。
だがその感覚も今は絶望的たっぷりに満ち溢れていて、痛みは普段よりマイナスになっている気がする。
ただ一つ朗報なのが、自分は生きていたということだ。痛感覚があるということは生きている証拠なのだ。少しだけ安心した。これが死後の世界だったら俺は永遠にこの地獄に閉じ込められてしまっていた。だがそんな事は無かったのだ。
ん?いや待てよ?つまり俺が生きているということは、ここは現実世界なのか。
唖然とした。こんな、地獄の様な場所が現実にあるのなんて信じられない。でも、今俺はそこにいる。
こんな非現実な空間は現実と繋がっていて、俺はそこに、ふとした瞬間迷い込んでしまったのだ。現実と繋がっているなら俺も帰れるはずだ。そうだ。そうに違いない。根拠も何も無いがそんな事考えてたら俺は、俺は…………俺は、まずい、まずい、まずい、また怖くてたまらなくなってきた。そうだろ。何いってんだ俺。帰れる根拠なんて無いだろ。俺は俺に責められて泣いてる。なんで帰れると思ってる?お前は一生このまま死ぬまで過ごすんだ。この現世と離された地獄でな。なんでそんな事思うんだ自分。終わった。死んだ。死んだ。死ねよ。死なない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。怖い。怖い。怖い。

俺は再び、走り出した。考えるのが怖かった。もう本当に取り憑かれている。闇に取り憑かれている。俺は俺じゃなくなりつつある。と思っているのであるならば、それはもう俺なのである。望んでいるとしか言いようがない。
あぁまた恐ろしいトラップを踏むのかもしれない。そしたら次は足がちぎれるかもしれない。腕かもしれない。頭かもしれない。だから用心したいところだが、スピードを落とすと何かに捕まってしまう気がする。今までこれの繰り返しだ。

「がえぁぁ……」
だれかが横にいる。そいつは暗闇の中で不思議なことにくっきりと見える。
闇の中、一人佇んでいる。
「ずぅうわあああああぁぁぁぁぁ」
そいつは叫びながら俺の左腕にしがみつき、引っ張る。すごい勢いで引っ張る。痛い。痛い。痛い。だが俺はその時無性にイラついていたので、そいつと会話するのではなく、そいつが俺を引きずろうとする反対方向へと動いた。こいつなんかの思い通りにさせてたまるか。
ギジュっと音がする。だがもう狂っていたのか、それでも俺はムキになって、とにかく反対に引っ張った。綱引きのような状態だ。クソ、クソ、なんでこんな目に俺だけ合わなきゃいけないんだよ!俺はこんなに真っ当に生きてきたのに。理不尽だ。いつも現実は理不尽だ。頑張って生きてきたのに、誰も殺さずに、何も犯さずに、普通に生きてきたのに……こんな事で普通からかけ離れさせられて……なんで、なんでいつもこういう人間ばっかが天罰食らわなきゃいけないんだ。この野郎、クソが、この頭のおかしい奴には絶対に勝ってやる。勝ってやる。



ブヂギュババ……




音を立てて俺の腕はもげた。腕の断面には肉と骨がはみ出し、汚かった。俺は左肩の方に手を伸ばした。そのすぐ下にはグチャリとした断面がある。そこは怖くてさわれなかった。俺の腕は取れたが、何ともなかった。
俺はもう痛さを通り越していた。
奴は逃げた。俺の腕を地面に投げつけ逃げた。

途轍もない憎悪が俺を支配した。何もかも無くなった俺の人生はまるで暗闇だ。何もかも燃やし尽くした俺の心も暗闇だ。だがその暗闇の奥からはおぞましいほどの憎悪の感情が目を光らせている。
ここは現実世界へと繋がっている。ならば、俺を引きずり込んだ人間の様に、俺も人間をこの離獄に引きずり込む。そして2度と暗闇からは出れない程に変貌させてやる。普通の人間だろうが、異端な人間だろうが、落としてやる。有名な人間も、頭の良い人間も、容姿の良い人間も、偉い人間も、俺は見つけ次第、ここに落とす。お前、他人事だと思うなよ。



俺はとにかく走った。闇の中へ走った。
これから何処へ向かうのか。これから何を感じるのか。これから何が起きるか。




その真相は深い深い闇の中。




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