人間刑
彼の持論『人間刑』が僕の思考を掻き回す。
あの日だけは昨日の様に思い出せる。
「僕達の処遇は死刑に酷似してると思わないかい」
それは突然の問だった。
「似てるも何も、実際に僕達は死刑囚なのだからいつしか処刑されてしまう。その日が日々迫って来る恐怖で狂ってしまったのかい」
独房室の中、日光で薄黄色に反射する畳の陰で僕ら二人は、いつものように会話を始めた。
「狂ってなんかいないさ。いつも通りの通常運転。それに別にこの事は僕達だけの話じゃないさ。この人類全てについてのさ」
彼は通常と言っていたが、何処か、いつもと違う気を放っていた。
それは目の奥からか、それとも言葉節々からか。
「僕達は必ず生と死の両方を持って生まれてくるだろう?だからこの世界に生まれてしまったなら嫌でも死と隣合わせでなければいけない。いつ死ぬか予測不能、それって明日殺されるかもしれない僕達と似ていないかい」
僕は壁にもたれ掛かった体を起き上がらせて、彼の方向に全体を向けた。
「考えてもいなかったが確かにそうだね。面白い。君はそんな事も考えるのか」
僕がそう無気力におだてると、気色の悪い間を開けて彼はこう言った。
「僕はね、この生と死は神様が意図して下した処罰だと考えているんだ。
そうだな、この罰に名前をつけるとするならば、
『人間刑』なんてどうだろうか。」
「人間刑、捻りの無い直球で良い名前じゃないか。で、その人間刑とやらをもう少し詳しく聞こうじゃないか」
ため息混じりにそう答えた。
「僕達の魂は外の世界で罪を犯した。
そしてその処罰の一種として人間刑が行われた。
魂は人間という殻に合成し、ここに生を得た。
生物や文明の発展も全ては作り出された証拠と憶測の世界、動物や植物という外身以外何も無いホログラムな物体にあると信じ込む世界、完全完璧に本当の現実と隔離された、小さな小さな小さな世界。
それがこの世なのさ。
地球という丸い死刑台の上で、今日も人は生きるという名の死刑執行までのタイムリミットを刻々と牢獄の中で過ごしている。
それって凄く哀れで虚しいと思わないかい?」
「いや、そんなことは流石にないだろ。死後っていっても……」
続きを話そうとした時、彼が途中で割り込んできた。強制的に僕の話が終わった。
「それが無いとなぜ断定できるんだい?」
彼のその一言が僕の心に刺さった。
この世界には、『有る』ものと『無い』ものと『分からない』ものの3つが存在している。この分からないものをどれだけ熟考して突き詰めようが、それが何なのか、実際に存在するものなのか、存在しないものなのか、分からないのである。それを僕達は『有る』と『無い』で断定できない。
肌身に触れて感じなければ、それは永久に『有る』か『無い』かの判別は出来ない。
だが僕は分からない問を無いと断定して答えてしまった。
「た、確かに僕達は死ぬまで死後の世界、死の奥を知ることは決して出来ない。かってに決めつけてしまい申し訳ない……」
独自の持論で死後を決めつけてしまった僕も彼と同じなのかもしれない。
彼の持論を馬鹿にしていた自分も、馬鹿にされる持論を持っていた。僕は反省した。
しかし、その後、彼は全てを覆すほどのとんでもない一言を発した。
「だから僕は人を殺し、救済してあげたのさ。
早くこの刑を終わらせるために」
その刹那、自分の両腕に騒めきが走った。
舌の裏に潜伏した唾液少量を飲み込み、ようやく喋れるようになった。
「思想に支配されている」
彼は強張った顔をしていた。
だが数秒の間、次第にそれは解けていき、微笑した。
「まぁ僕が殺した人々は自ら死を求め、頼んで来た人々だからね」
「頼んできた人?」
「死にたい人が集まるネットのコミュニティーさ。そこで出会った人達を殺したのさ。
彼らにも僕にも目的があったのに僕だけが悪者として晒し上げられて、捕まったんだ。
もう今のネットを見たら右も左も『死にたい』で溢れている。
老若男女全てが今、社会問題、人間関係、トラウマ、才能の劣等感、金銭、差別、障害、消失、承認、感化、責任、孤独、秘匿、
様々な理由で死に飢えている。
こんなにも原因があるなら死にたくなるのは当然の事。
死は救済と思うようになる。
人間と言う者は、
あえてそう作られているからね」
彼の発言が終わった後には少し納得している自分がいた。怖かった。だが本当にそうなのではと疑わずにはいられなかった。取り乱した僕は、もう一度平常心を装い、改めて現実を見つめた。そしてそこから出た1つの答えを容赦せず彼に下した。
「君はそれ系統の映画や小説の娯楽に浸りすぎてしまったのかもしれない。君はその主人公達のように、世界の真相を明かしたいのかもしれない。求めたくなり、他者より一つ上の人間になりたい精神は誰しも少しは持つものさ。
だがね、君はやりすぎている。
僕ならいいがこれを他者に言うのなら恐らく、カルト宗教に洗脳された異常者だとか、常軌を逸した気違いだとか、そういった印象を付けられて見下しや蔑みが現れた目で見られてしまうぞ」
「そんなんじゃないよ。僕はただ知り得ない世界での持論を持っているだけなんだ。
そもそも、皆が考えなさすぎているのではと思ってしまうよ。
全部が勘繰りになってしまうのは当たり前で、皆はそれを嫌悪しすぎている。
こんなにも基礎的な所から未知で溢れた世界の中で、科学だとか、理論だとか、手に届く範囲でしか自分達の世界を見ない。
想像力や発想力が世界を大きな進歩に導いたのにそこで止まってしまっては人間の道も壁は近いだろう。
今の当たり前が形成される前は全てが自由かつ柔軟な想像に溢れていた。それから文化や科学も発展したのに、もう何もかも有り触れている今の人間達はそれを求めない。
求めることを恐れ、迫害してしまった。
だが僕は進む。持論の果てを追いかけ続ける。わからない世界を追求し続け進化する。
もうこれ以上言っても意味が無いのかもしれない。こうしてまた僕みたいな人間は少なくなってしまうからね…」
彼はそう言うと立ち上がり、トイレの扉を開けて中に入っていったのだった。
僕というと、ただぼーっとしていて、その日は彼と何も喋れずにいた。
僕と彼どっちが正しいのだろうか。それこそ分からないのかもしれない。
そしてついにその日はやって来た。
「768番、出房しなさい」
青空が室内をちらつかせ、清々しく澄み渡る。
その空気は考えていたのとは違い、僕の思考を少しばかり鈍らせた。
この部屋の中で長い日数を共に過ごした友人とも呼べる者が隣で死を目の前にした時、自分がこの日を忘れていたという程に絶望が想起した。
だが彼は予想していたのだろう。
彼の目には輝きがある様に感じた。
彼は待っていた。死の先、真実の答え合わせの日を。
彼は心の準備が整っているのだろう。
落ち着いて立ち上がった。そして呟いた。
「でもやはり恐ろしいものだ…」
彼が僕の隣から姿を消してもう随分経ってしまった。いや、経っていないのかもしれない。
彼の今や、死後の世界についての考えに浸りすぎていた。
今、死後の世界についての僕の持論は
まだ『人間刑』だ。
新しい独自の論を考えたい所だが、やはり心の何処かで気に入っているのかもしれない。
日々こういう事を考えるのが面白い。
例えそれが外れていても、目的はそこでは無いのである。
外見や性別の多様性が大いに受け入れられていく社会の中で、思考だけは一向に多様化をしない。
そんな社会の中でさらに発展していく。
まさにそれを呼び起こすための提示なのだ。
神様だとか幽霊だとかそういう論すらも死ぬまで全ての陰謀は知り得ない。
だから外がわからない今、総じてそれを捻じ曲げる行為や侮る行為はそう簡単にするものではないのかもしれない。
無論、彼の様にそれを行動に、ましてや問題の発生に繋がってしまってはお終いなのである。
馬鹿にし続けた誰かの信仰や弔いが正しかった場合、僕はどう思うのだろうか。
だがそれすらも人間、死ななければ答えは永遠に分からない。なんと皮肉な。
この好奇心とそれにもがく虚無感がなんとも苦しくて、苦しくて。
「958番今日からお前はここに入れ」
「はい分かりました。今日からよろしくお願いします」
新入りがやって来た様だ。
君も次第に外の景色が気になって来るであろう。
まるで牢獄の中に閉じ込められた受刑者のように。