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最近、母が亡くなった

 オットとはずっといつか向き合いたいと伝えてきて、そうしたら向こうから調停の申し立てがきた。調停の申し立ての書面を郵便受けから受け取ったその日、わたしは婦人科の検診で子宮体がんの可能性を告げられた。
 同時発生にこんなことってあるんだ、って思った。(子宮がんは幸い、とても初期で、手術後の5年生存率98パーセントというほぼ完治したようなもの)
 そのあたりからずーっと大変な日々を送っている。
 調停は子どもに障害があることもあって、いろいろ決め事も多い。しかも2ヶ月に1回だからほんと時間がかかる。
 4回目の調停を目前にしたある日、子どものことでも相談相手としてもずっと頼りにしていた母が亡くなった。母もまたシングルマザーだった。
 人が一人亡くなると、こんなに世の中のいろんな人が大変に動くんだ、毎日たくさんの人が亡くなって、えらい騒ぎだな、とはじめて知った。自宅で亡くなったため、警察が事件性がないかどうか検証にくる。こちらは突然母が亡くなって動転してるというのに、目の前で警察の人たちが母の死因を懸命に現場検証している。倒れた時に頭に傷ができてそれがどんなだ、とか、聞いてる方はたまらない。
 葬儀屋さんもすごい。いのちの電話の人たちにも頭が下がるが、葬儀屋さんにも頭が下がる。それが商売といえばそれまでだけど、24時間親身になってこちらの電話に応えてくれる。タイミングがそうならその日すぐにでも遺体を運びにやってきてくれる。
 火葬場、この年になってはじめての体験。骨になった母。その骨を、目の前の若者がきれいな手さばきで骨壺におさめてくれる。そういえば、母の遺体にメイクをしてくれた人たち。送り人っていうのか、こういう世界で仕事をしている人がたくさんいる。
 わたしは死についてあまりこわいとかタブーとかいう概念がなく、そういう働く人たちの姿を見て、わたしもやってみたいかも、と思って求人検索をしてしまったくらい、興味深い世界だった。
 人の死に関わるというのは、とても深い仕事だと感じて。

 一方、母が亡くなったことで、一本の柱を失ったわたしは急にいろんな見てこなかったことが可視化されてしまい、いま、震えてる。

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