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生徒だと意見を言ってはダメですか? ミライエコール 山口セナの体験談(前編)

ライター:山口セナ

前編

 私は、中学、高校と生徒会役員を務めましたが、ここでは、特に高校で生徒会に入ったきっかけから生徒会長になり、生徒会の仕事を終えるまでの話を書いていきます。

この経験をみなさんに示すことで、ブラック校則などの改正の参考にしていただく一方で、学校にはブラック校則だけに留まらないもっと根本的な問題がある可能性があることに気づいていただければと思い、この記事を書きました。ここからは時系列に沿って、私の経験を書いていきたいと思います。

0.高校の仕組み

 私が通っていた高校には組織図があり、まず最初にその仕組みと生徒会の制度を簡単に説明します。

 まず、全校生徒から選ばれる生徒会本部があり、生徒総会は年に一回開催されますが、組織図には掲載されていませんでした。そして、生徒会の真上には、生徒指導部、職員会議、教頭、校長と続いています。

この組織図のせいか、私が生徒会役員を務めた間、先生からは「生徒会は生徒指導部の下/中にある」と何回も言われました。生徒会本部については、会長、副会長、会計、書記の役職があり、役職ごとに全校生徒で選挙が行われていました。しかし、ほぼ毎回の選挙で立候補者が定員ピッタリで、候補者同士が自分の公約を持って選挙をするというシチュエーションがほぼありませんでした。また、生徒会の任期は半年でした。



1.高校入学と生徒会に入るきっかけ

 私の高校の制服には、女子はブレザー、ベスト、スカート、男子には学ランがありました。高校に入学したての1年の4月のことです。その日は暑かったので、私はベストを着ないでワイシャツのみで歩いていました。すると、生徒指導部の先生に「女子はワイシャツ着用時はベストを着なければならない」と指摘されました。私はその規定をきちんと知らなかったのですが、「そんな規定があっては体温調節もできないではないか」と考えて、そう反論しました。

しかし、議論は堂々巡りになり、最終的にはその教員に「てめえ」とまで怒鳴られてしまいました。新しく始まる高校生活に期待していたのですが、その日、通い始めたばかりの高校に少し失望を感じました。その後、その出来事は他の教員にも共有されたらしく、他の教員からも諭されるようなことがありましたが、一旦この件は終わりました。

 しかし、この出来事をきっかけに、1年の後期、私は「意見箱の設置・服装規定の改定」という公約を掲げて生徒会役員に立候補し、当選しました。しかし、前述したとおり、当選したとは言っても、立候補者が少なすぎて信任投票しか行われず、生徒たちの拍手だけで当選したのです。先生が生徒に声をかけて、定数ピッタリの立候補者数になることで、意欲があっても無くても当選してしまう状態にも、疑問を感じました。

 生徒会に入り、公約を実現してよりよい学校にしようと意気込み、他の役員にも積極的に働きかけました。しかし実際には、生徒会は先生から指示されたことや、毎年の「通常業務」のみを行い、新しいことを避ける機関になっていると感じました。「通常業務」とは、部活動・同好会のための予算の分割をする会計の仕事などのことです。そのような仕事も大事であり、今まで生徒会本部がやっていたのだからいきなり放棄するわけにもいかないのも理解はできます。

しかし、「意見箱の設置」など、生徒会にとって基本的かつ重要であると考えられる提案までも、「『通常業務』が大事で、時間がないから」ということを理由に、他の役員たちに反対されていました。意見が違えば話し合いが大切だと考え、意見箱の設置についても話し合いを行いましたが、生徒会本部の他の役員たちとあまりに考えが違い、意見箱の設置は叶いませんでした。なるべく対立しないようにしたつもりでしたが、「私vs他の役員たち」のような構図になっていたと感じます。

そして、3月には生徒総会がありました。その際には、生徒会の活動報告をします。私は、その活動報告の資料作成をする際に、評議会の議事録を参照しました(※評議会:各クラスの代表者と生徒会役員の集まり)。すると、前期(私が生徒会本部に入る前の学期)に、評議会で生徒たちからたくさんの提案がなされていたのにも関わらず、生徒会本部がそれらの意見を検討せずに却下していたということが分かりました。私は、先輩の許可も得て、評議会でなされた提案とそれに対する生徒会の対応を活動報告として資料に掲載しました。

 しかし、その後学校は新型コロナウイルスのため休校期間に入りました。その後、当時の生徒会長から、私が作った資料について、「生徒総会で時間が無い関係でこれは掲載できない」と言われ、私が作成した活動報告は消されてしまいました。「資料に載せると質問が来るだろうが、会計部門での質問がたくさん出そうであったため削除した」との説明があったのですが、それでは理由なしに会計の話が一番大事なのだろうか、と私は疑問に思ってしまいました。

 私は生徒会本部に入った当初は、話し合いをたくさんして活発な生徒会活動を行えたらいいなと考えていたのですが、この半年の活動で、先輩たちがいる間にこれ以上活動しても、私と他の役員たちとの間であまりにも意見の違いが大きく、意見が聞き入れられるはずはないと感じるに至りました。そして、2年の前期の役員立候補は見送り、代交代して先輩方が任期を終え、私たちの代が生徒会長への立候補が可能となる2年の後期に、生徒会長として立候補し、自分がリーダーシップをとって学校を良くしていこうと決心しました。

2.生徒会長に立候補

 そして、2年の夏、生徒会長に立候補しようとしました。

しかし、ここで生徒指導部の先生や他の生徒会役員から立候補を止められます。当時の生徒会役員がほぼ全員いる場に引継ぎの名目で呼ばれ、私は生徒会長への立候補をやめるように言われました。その場で、1つ上の先輩から、「山口が立候補するのはエゴだ」という言葉も投げられました。私の立候補に反対する理由としては、このように説明されました。

今の選挙は役職ごとに行われるのですが、会長選など、ある役職での選挙に負けた場合、役員にもなれないというルールがあり、もし私が会長選に勝つと、今まで通年で役員を務めた人が役員にすらなれなくなります。つまり、2年前期に役員をしていない私が生徒会長を務める事態を避けたいというのです。

公正なはずの選挙で、立候補を事前に止められるなど、とんでもないことではないかと思いました。当時の生徒会役員と生徒会顧問には「自分が立候補をやめる正当な理由はないので、立候補します」とはっきり伝えたものの、このままでは選挙で不正が行われる可能性もあると考え、校長先生に訴えました。幸い、校長先生は選挙は公正に行われるべきだという考えのもと、きちんと選挙を行うことを約束してくれたため、私はなんとか生徒会長に立候補することができました。

そして、選挙の際に改定しようと提案した服装規定は以下の3つです。

 また、1年の時と同じく、意見箱の設置も公約としました。どんな生徒でも意見を伝えることのできる仕組みは一番重要だと考えたからです。さらに、生徒会が全て行うべきなのか疑問であるような仕事の削減も公約としました。例えば、予算案の作成に大きな時間を割いたり、野球部の試合の応援を運営したりすることなどです。本当に生徒会本部が行うべき仕事なのかどうか、見直されずに今まで慣習によって続いてきたであろう仕事を見直すことによって、本来生徒会がするべきである、生徒の自治に関する仕事をメインにできるようにすべきと考えました。

 そして、選挙の結果、私は生徒会長に当選し、生徒会長を務めることになりました。

3.生徒会長としてまず行ったこと

 生徒会長になってからが勝負です。

 生徒の意見が反映される、オープンな学校にするためには、どうすればいいのでしょうか?

 まず、生徒会本部が行っていることを全校生徒と共有して透明性を高めることが大切だと考え、生徒会本部の話し合いの議事録を公開することを提案し、新たに生徒会の掲示板を設けて、そこに生徒会本部の議事録の公開を始めました。

 しかし、初めて掲示した議事録がいつの間にか掲示板から消えていたのです。私は誰かが持ち去ったか風で飛ばされたのかと思い探し回りましたが、なんと、それは先生に勝手に剥がされたことが分かりました。勝手に剥がすという行為は許されるのかと驚きましたが、こちらにも改善の余地があると考えて、今度は全員の目を通してサインをもらい、生徒会担当の先生の許可ももらって再度議事録の掲示を試みました。しかし、また勝手に剥がされたのです。私はこのことについて他の役員に意見を尋ねましたが、生徒会顧問の先生が生徒会室に来て議事録の公開に反対であると伝えたからか、大部分の他の役員も議事録公開には反対していて、議事録の公開は行わないことになってしまいました。その後、生徒会の顧問が属する生徒指導部の生徒指導部長に議事録の公開について話をしに行きました。すると、「議事録はおしゃべりの垂れ流し。」「話をある程度理解してくれないと、生徒会と学校とのパイプが無くなるよ?」などの高圧的な言葉を一方的にかけられて終わったのです。

 こうして議事録の公開にいつまでも時間をかけているわけにもいかないと考えたため、議事の要点だけを生徒会の掲示板で共有するということに妥協して、意見箱の設置に集中することにしました。設置のための話し合いをいくつか行い、12月のある日に設置することになりました。

しかし設置するというその日の朝、役員の1人がLINE上で「詳細が決まっていないのに設置を急ぐべきではないから今日設置するのはやめるべきだ」と発言し、他の役員もそれに賛同する形となり、設置が中止となりました。その発言の理由としては、意見箱を設置する日程を先生に報告していなかったこと、設置してからの使い方の詳細が決まっていなかったことを挙げていました。

しかし私は、日程まで教員に報告しないと生徒は何も動けないというのはおかしいと思うし、設置してからの中身の確認のペースなども話し合い済みであったため、当日に役員から反対を受けたことにとても驚きました。その後、職員会議での承認が必要と言われたため、結局年明けの2月に職員会議の承認を受け、約4か月かけて設置できたのです。

 生徒会長になる前まで、議事録の公開と意見箱の設置というだけのことに教員たちと他の役員からこれほどまでの反対を受け、時間と労力がかかるとは正直考えていませんでした。この状況では、残る公約である「服装規定の改定」を進めるのはかなり難しいと思いました。しかし、まずは全校生徒の意見を聞くのが最重要だと考え、生徒会本部でその提案から始めることにしました。果たして、うまくいくのでしょうか?

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