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ほんまる神保町で、棚主へ17

もう十年以上前になるが、私は離婚した。
義母とまったくうまくいかなかったことが大きな理由だ。

私は普通の両親に育てられてきたと思って生きてきた。
結婚の報告をしたとき、私の両親は三十万円ほど包んでくれ、妻となる人のことを全肯定してくれた。
困ったことがあればなんでも言え。口は出さないが、金ならなんとかするから。そんなスタンスでいてくれた。両親もそれほど裕福な暮らしをしていたわけでもないのに。

それが普通だと思ってしまった私の目には、妻の母というのは異星人のようだった。
とにかく、顔を見るたびに金の無心をしてきた。
いまいくら用意できる。いつだったら用意できる。金をよこせ。金を持ってこい。金、金、金。

衝撃的だった。結婚したばかりの若い二人。金なんかない。
私は静岡県出身であり、私の両親も静岡県に住んでいる。妻は千葉県の人。そしてこのとき私たちが住んでいたのは千葉県だ。
妻側のホームである千葉県で、私は義母と揉めた。こんなこと、自分の両親に相談などできるはずもなかった。

ある日、義母の住む家に呼び出された。また金の無心か。うんざりしながら行くと、義母の様子はいつもと違った。
「今日はいい話を持ってきた」
その山賊のような笑みに嫌な予感を覚えていると、義母は続けた。
「電子レンジを買ってやるから三十万円よこせ」

意味がわからない。どこが「いい話」なのか。悪い話界の王様のような話だ。
詐欺の臭いがぷんぷんする。
さすがに電子レンジに三十万円は払えない。そう伝えると、義母は目を見開いた。
「本当なら五十万円はするやつを、私の伝手で三十万円にしてやろうって言ってるんだぞ!」

この人の言う「私の伝手」というのは、義母の夫、つまりは妻の父のことを指す。私からすれば義父にあたる人なのだが、とても多忙で年がら年中出張をしているような人だった。
聞けば大手家電メーカーの管理職。その伝手で、本来ならば五十万円はする電子レンジをたったの三十万円で用意してやる、と義母は言うのだ。

いらない。

まず、一般家庭に五十万円相当の電子レンジは不要だ。そもそもそんなものが存在するのかもわからない。

私は十八歳から一人暮らしを始め、このとき(二十六歳)のときまで安物の電子レンジを使い続けてきた。新品で一万円くらいのやつを、約八年間使ってきた。結婚するにあたって、新しいものを買おう。たしかにそんなことを妻に言った覚えがあった。
おそらくそれを伝え聞いたのだろう。

予算としてはせいぜい二万円。個人的には一万円を切るくらいでもいいと考えている。
そう言うと、義母は心底馬鹿にしたように笑った。人を小馬鹿にするためだけの笑い。おそらく、義母の人生で何百、何千とやってきたお馴染みの笑いかたなのだろう。

「おまえは馬鹿だから、丁寧に教えてやろう」
そんなことを言い、義母は説明を始めた。
「一万円の電子レンジは、一週間で絶対に壊れる。つまり月に四万円くらいかかる。年だと五十万円ほど。でも私の伝手で用意する電子レンジは絶対に壊れない。一生使えるものを、たった三十万円で買えるのだ。それがどれだけ得なことなのか、おまえは馬鹿だからわからないのだ」

なんと返したらいいものかわからなかった。なにせ私は約八年間、一万円程度の電子レンジを使ってきたのだ。一週間で壊れるなどということがないのはよく知っている。
というか、常識的に考えてそんなコンスタントに家電が壊れ続けることなどない。

このときはなんとか逃げ出したが、一時が万事この調子だったのだ。

限界だった。そして若かった私は、妻に言ってはいけない言葉を投げた。
「きみのお母さんは、頭がおかしい」
このとき妻は妊娠初期であった。そんな不安定な時期に、夫が母のことを悪く言っている。妻からしてみれば耐えられないことだっただろう。
私から見たら頭のおかしい婆さんだが、妻からしらかけがえのない母親なのだ。
だが、私にはそれがわからなかった。
だってそうじゃないか。あんな母親とは縁を切るべきだ。俺はもう会いたくない。

妻は、夫か両親か、どちらかを選ばなければならなくなった。
義母も必死だったのだろう。このままだと大切な娘と、まだ見ぬ初孫を失う。そこで義母は自分の命を人質にした。
「私は末期癌なので、もうすぐ死ぬ。死ぬ前の最後のわがままを聞いてくれ」

その結果、妻は母親を選んだ。

しかしもうすぐ死ぬ人が、なぜそこまで金に執着するのか。古墳でも作るつもりか。
その疑問には義父が答えてくれた。
「あれは嘘だよ。病院嫌いで、検査もろくに受けたことないからね。末期癌は自称してるだけ」

まあ、そんなことだろうとは思った。

さて、先日、ほんまるから3992円が振り込まれた(唐突)。
これが六、七月の売り上げである。
3992円といえば百円札を燃やして「どうだ、明るくなったろう」を三十九回もできるほどの大金だ。
しかし私の棚の月額使用料は6710円。
さらに言えば本の仕入れにだって金がかかっている。
そう考えると、一見大赤字であるように見える。そう「一見」なのだ。

元義母! おめぇの技、借りっぞ!!

「がばがば計算拳!!」

ほんまる神保町はその名の通り、神保町にある店だ。本好きにとっての神保町といえば、映画俳優にとってのハリウッドである。つまりハリウッドの一角にスペースを借りているのと同じと言える。ハリウッドの一角にスペースを借りるとなると、月五万円ほどかかるようだ。この「スペース」とはオフィスのようだが、そんな細かいことは気にしない。
元義母だったらそーする。俺もそーする。

つまり月額五万円払うべきところを七千円弱の支払いで済んでいると考えることができ、毎月四万円以上得をしていると言える。
そう考えるとどうだ。大きく黒字である。

……いや、違う。
元義母の「がばがば計算拳」はこんなものじゃなかった。これでは劣化コピーだ。もっとこう、雄々しく猛々しく、取らぬ狸の皮算用的なニュアンスがなければいけない。

「オラの体、もってくれよ。──がばがば計算拳三倍だぁ!!」

二ヶ月ぶんの売り上げが3992円ということは、年間の売り上げは23952円となることが見込まれる(3992×6)。
十年で239520円。百年で2395200円。
一億年で2395200000000円となる。
いまは二兆円超えの商売の一歩目だと言っていい。それがわからないおまえは馬鹿だ。

はぁ、はぁ……。これならどうだ。
やったか。

しかし心の中の元義母は言う。
「その二兆円はあたしのモンだ。それがわからないおまえは馬鹿だ」

っょぃ。かてなぃ。

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