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ほんまる神保町で、棚主へ14

二十代後半の頃の話。
その日、私は帰宅するために自転車を漕いでいた。
季節としては秋だったと思う。
住宅街の中にある上り坂で、その手前にある平坦な道から勢いをつけなければ登っていけないような道を、私はかっこよく自転車を漕いでいた。
坂道の真ん中あたりで一台のパトカーが追い越していった。
そのパトカーが私の進路を塞ぐように止まったため、私は一旦自転車を降りることになった。
パトカーの運転席からは若い警官。助手席からは年配の警官が降りてきた。
「ちょっとすみません」若いほうの警官が軽い調子で声をかけてきた。「自転車の防犯登録を確認させていただけますか」
なるほど。以前も自転車の防犯登録の確認ということで声をかけられたことがあった。たしかそのときは五分程度で開放されたと記憶している。下手に断ったりしたほうが余計な時間がかかりそうだ。
「いいですよ」
品行方正大権現であり、押しも押されもせぬ好青年な私はにこやかに応じた。
若い警官は防犯登録のシールを確認し、パトカーへ戻っていった。どうやら無線を使って確認しているらしい。
「お手数ですが、免許証などあったら見させてもらえますか」
そう声をかけてきたのは年配のほうの警官だ。
「いいですよ」
全人類のお手本である私はそれにも快く応じた。
「できれば、お財布ごと見させていただきたいんですが」
「いいですよ」
年配の警官は私の財布を受け取り、すべてのカードなどを確認し始めた。
「そちらのリュックの中も見たいんですが」
「いいですよ」
言われるがままである。年配の警官はリュックの中身を確認した後、さらに「着衣のポケットなども確認したいのですが」と言ってきた。
「いいですよ」
上着やズボンのポケットをすべて裏返し、尻ポケットにまで手を突っ込まれた。ふと見ると、パトカーに戻っていた若いほうの警官は無線機らしきものを口もとに当てながら、厳しい顔でこちらを見ている。
さらに視線を巡らせると、坂道を登り切ったあたり、五十メートルほど先に、バイクに跨った警官がいる。なんだ? と思い坂道の下のほうへ目をやると、そちらにもバイクに跨った警官がいる。
近くに二人の警官。離れた位置に一人ずつ、計四人の警官がいる。
自転車の防犯登録の確認にしては人が集まりすぎである。年配の警官はなぜか世間話を始め、「最近、すっかり陽が落ちるのも早くなりましたねぇ」などと言っている。
その後、しばらく話したことにより、その年配の警官が巡査部長であること、釣りが趣味であること、大学生の息子がいること、などを知った。
いや、知る必要などなかったのだが、その警官が話してくるのだ。
もう三十分以上が経過している。そこに一台の車がやってきた。その車から降りてきたスーツ姿の男たちは、民家の塀に私を押し付け、ポケットをすべて調べ始めた。さっき一度調べられたのに、また財布やリュックなども調べられた。さらに一台、車がやってきた。今度はドラマなどで見たことのある、鑑識と呼ばれる人たちのような格好をしている。
合計で十人ほどの警官に囲まれ、私は塀に押しつけられていた。
「動くな」
強面の刑事にそう言われたが、二人の警官に肩を押さえつけられている状態である。動こうにも動けない。背中を塀につけ、微動だにしない私の顔の斜め上から鑑識らしい男性が懐中電灯の光を当てる。最初に呼び止められてから約一時間。陽が落ち、辺りは暗くなっていた。
「動くなって言ってんだろうが!」
ほとんど怒鳴り声に近い声で言われる。いや、動こうとなどしていない。ただ、近くの民家の窓から不安そうな顔をしてこちらを見ている小さな女の子に手を振ってやろうと──あ、ごめん動こうとしてたわ。
そんな私の目の前を、ゆっくりゆっくりと黒い車が通り過ぎていく。窓を真っ黒なフィルムで覆ったその車は私の目の前を通り過ぎたところで止まった。そして助手席からスーツ姿の男が降りてきた。
「人違いです!」
その言葉が放たれた瞬間、私の両肩を押さえていた警官の手が離れた。
「申し訳ない!」
さっき私に「動くな!」と強く言った刑事が謝る。
「本当にお手数をおかけしました」
最初に声をかけてきた若い警官や、巡査部長という警官、鑑識っぽい人たちも口々に謝ってくる。そこに至って私は気がついた。

──なんか疑われてたってコト……?

おわかりだろうか。
これだけあれこれやられて、謝罪されるまで自分がなんらかの容疑で調べられていることに気がつかなかったのだ。
二十代後半の私は、これほどまでにぼーっとした男であった。

警官はなにも教えてくれなかったので推測に過ぎないが、

なにか事件があった。
目撃者の証言した犯人の人相風体が私と合致したため、職務質問。
最後の黒い車の中から目撃者が私の顔を確認し、人違いであることがわかった。

ということだろう。

さてあれから十数年。人生の荒波を越えてきたようなそうでもないような私の棚がこちら。(※2024年7月20日撮影)

節操がない。

Setせっ soulそう got nightない 魂は夜を手に入れた

え、かっこよ!

これが四十二年生きてきた男である。
みんな元気出してほしい。

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