ほんまる神保町で、棚主へ15
私はバツイチであるが、元妻の顔をまったく覚えていない。これは強がりだとかそういうことではなく、ガチで覚えていない。
元から写真をあまり撮るほうではなかったので、私のスマホには妻の写真というのはなかった。あえて撮らなかったのではなく、習慣として写真撮影というものがなかったのだ。
いま、目の前に離婚当時の妻がそのままの姿で現れれば、「あ、そうそう、こんな顔だった!」となるのかもしれないが、いま自力のみで思い出すのは不可能だ。それはたぶん、向こうも同じではないだろうか。
さて、なぜこうなってしまったのか。一度は「一生隣にいるんだってばよ!」と思ったはず(本当にそう思っていたのかすら怪しいが)の妻の顔を忘れてしまうのはあまりにも薄情な気がする。
たぶん、私の記憶の中で上書きが起こってしまったように思う。
元妻は女優の星野真里さんに似ていた。
私が勝手にそう思っていたわけではなく、いろいろな人にそう言われていたようだ。
その結果、私の記憶の中の妻の顔は星野真里さんで上書きされ、星野真里さんのポスターやパネルなどが展示されていると身構えるようにまでなってしまった。
しかし身構えるのもおかしな話だ。私が主に揉めたのは妻の母──余談だが、この妻の母は戸愚呂(兄)※に似ていた──であり、妻に対して悪い感情は持っていない。
なんにせよ、写真を一枚くらい持っていればよかったな、とは思う。戸愚呂(兄)のほうはいらないが。
記憶はたやすく改竄される。
元妻は化粧品売り場のパネルになっていないし、元義母もマッチョの人の肩に乗ってなどいない(たぶん)。
というわけで、私はほんまるへ行くたびに自分の棚の写真を撮るようにしている。いま、この瞬間の棚の様子など、いずれ忘れてしまうかもしれないから。
いつかこの写真を見返したとき、「あー、こんな本も並べてたっけな」と思う日が来るかもしれない。
ちなみにnoteの更新が滞っていたのも、「忘れていたから」だ。