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ほんまる神保町で、棚主へ⑤

私は静岡県の山奥に生を受けた。
富士山の麓、というか富士山の一部と呼んでいいくらい富士山に近く、山頂に建っている気象庁の観測ドーム(現在は撤去済)が肉眼で見えるような場所で育った。

中学校までは良かった。問題は高校だ。そんな山奥から自力で通える高校はそう多くない。
兄はスポーツ推薦だか特待生だかで高校を選んだ人で、そんな推薦だか特待だかを受けるくらいなので自転車での行動範囲がばか広い。
それに比べると、私の行動範囲のなんと狭いことか。兄と同じ高校を選べば、通学途中で遭難する可能性すらある。

そこで選んだのがF高校だった。たぶん自宅から一番近いのがそこだった。当時、私は偏差値というものを理解していなかった。いや、実のところいまでもよくわかっていないのだが、なんにせよ「普通」くらいのレベルだったと思う。

そんなF高校の英語教師であるT先生は、普段、生徒から軽く見られているような先生だった。当時、おそらく五十歳前後だったと思う。ベテランの男性教師だ。岩のように厳つい見た目とは裏腹に、少し気の弱いところが透けて見えるような先生だった。

「T先生の英語は、本場の人には伝わらないのでは」

それまでの授業中、そんな空気が漂っていたのは間違いない。T先生は強い東北訛りの日本語を話し、そのイントネーションを引きずったまま英語を話す。
英語のヒアリングがさっぱりな我々生徒たちも、T先生の英語力には懐疑的だった。

そんなあるとき、英語の授業にネイティブスピーカーの白人男性がやってきた。金髪碧眼の白人男性。たしか「エリック」とかそんな名前だったと思う。
ALTとかそんな感じのあれで、とにかく本場の英語を直接聞き、話してみよう、という試みだったのだろう。
明らかにT先生は張り切っていた。自分を舐めている生徒たちに、見せつけてやろうと意気込んでいたのかもしれない。

「英語なんて、ただの言葉なんです!」
東北訛りの胴間声が響く。
「臆せず話してみれば、伝わるものです。みなさん今日は、エリック先生と会話をしてもらいます。中学校で習うような簡単な英会話でいいんです。文法なんか気にしなくていい。まず、本場の人と話してみて伝わった、という成功体験が大事なんです!」

なるほど、いいことを言う。

「それではわたくしめが、お手本をお見せします──」

T先生は満を持して叫んだ。

    「はろう!」

エリック先生の肩がびくりと跳ねる。T先生はそんなことを気にする素振りも見せず、続ける。

「アイライク、スシ!」

エリック先生は困ったような顔でT先生を見つめ、我々生徒を見て、またT先生へ視線を戻した。
明らかに困惑している。当時の私は外国人、とくに金髪碧眼の白人男性に対してある種の偏見を持っていた。それは、「彼らはどんな場面でも陽気に笑い、フレンドリーである」という思い込みであった。
このときのエリック先生は陽気でもフレンドリーでもなく、ただただ怯えているように見えた。それもそうだ。英語教師である、と紹介されていた強面の東洋人が、突然謎の言語を叫び始めたのだ。
私がどこか外国へ日本語教育のために訪れたとして、現地の日本語教師がまったく日本語を喋れず、日本語と称した謎の言語をがなり立てている、という状況に直面したら。
想像するだに恐ろしい。

「アイライク、テンプラ!」

T先生の好きな食べ物紹介は続く。名乗りもせずに自分の好きな食べ物を捲し立てるのは、もはや妖怪の一種だ。

「ドゥーユーノウ、テンプラ?」


エリック先生は小声で言った。

「What?」

正当な「What?」だ。しかし英語とも日本語ともつかない謎の言語を叫んでいたT先生は目を剥いた。

「ワット!? ワットってあんたね、これは英会話のお手本なんだから英語で会話してもらわにゃ困る。あんたと私、英語で話す、わかる!?」

全部日本語。

苛ついた様子を見せつつも、T先生は再び英語(らしきもの)を話し始める。エリック先生も、なんとか聞き取ろうとはしているが、聞き取れていないのはその表情から明らかだった。
さすがのT先生も諦めたのか、謎言語は唐突に止まり、チョークが黒板の上を滑る音が響く。
そう、黒板を使って筆談を始めたのだ。

英会話のお手本は? という生徒たちの戸惑いを置き去りに、二人は筆談を始める。
生徒側からはまったく見えないような小さな文字でなにやらごちゃごちゃ書いたあと、T先生は豪快に笑い、ほっとした表情のエリック先生とがっちり握手をした。

「まあ、こんな感じでね! 話せば伝わるもんなので!」

絶対に伝わっていなかったのに、T先生はそう言った。都合よく記憶を書き換えたのだろう。T先生にとっては「授業がうまくいった」という成功体験の一つになったのかもしれない。

いつものことだが、前振りが長くなってしまった。私にも成功体験が必要だ、という話がしたかった。
そう、まず一冊売れるという、棚主としての成功体験。最初の一冊さえ売れれば、私もT先生のように自身の記憶を書き換えて「大繁盛している棚主」ということにするつもりだ。

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