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その15 一人の小学校教師として

かつてこれほど教師の働き方等が注目されたことがあったか

 ここ数年、例の4%(近々上がるそうですけど)の給特法を中心にして、教師の働き方や教員不足の実態などがメディアに採り上げられることが増えているように感じています。
 外からどのように見えているのかは、学校現場で働く者の一人として気になるところではありますが、ちょっと自分の実感も書き記してみようかなという気になりました。
 私は名古屋市で小学校の教員になって15年目です。正規採用される前に常勤講師として六年生の担任を数カ月しました。若い頃のことをふり返ると、今の仕事ってかなり楽になっているような気がするのです。

以前と比べて減った仕事

 パッと思い出せるものを列記してみます

  • 部活動(夏は18時まで部活が当たり前で、それから仕事を始める感じでした…1年目は確か冬も18時までやっていた気がします)

  • 通知表。一校目は手書きの通知表でした。パソコン入力で印刷になって、ずいぶん楽になりました。それでも毎学期全員所見を書いていましたが、今は年に一回です。(総合所見と道徳が増えましたが…)

  • 会議。毎月職員会議がありました。今はかなり減りましたし、その他の会議も精選されてきました。ここ一か月、5時間授業の日にも何の会議も入っていないことが多くて、有難いと思っています

  • 掲示物。以前は授業参観の度に校内の掲示物を色々整えていましたが、今はそんなにうるさく言いません。私は全員そろっていないものもどんどん掲示していくし、最終的に完成させていなくて掲示されない子もいます

 色々あります。だから、昔に比べると勤務時間は減っていると思います。
 初年度のある日、たわむれに自分の時給を計算してみたことがありました。そしたら、自分の日本郵便の契約社員時代の時給どころか、コンビニのバイト以下の金額になって悲しくなりました。
 今でも実際は月45時間なんて余裕で超えていて、80時間も超えているでしょう。休日に出勤することもしばしばあります。ただ、その中には仕事なのか趣味なのか判断がつかないような領域のものもあるので、そういう部分まで管理されたりしたらげんなりしてしまいそうです。
 それにしたって、若い頃に比べたらうんとマシです。名古屋市のある教科・領域の研究会にも8年間参加していましたが、今は距離を置いているのでそういう仕事に追われることが無いのも、いいですねぇ…。あ、出世するつもりはなくて、ずっと一担任でいるつもりです。

なぜこんなに多忙感があるのか

 では、昔に比べてどうしてこんなに多忙感があるのか…という問題について考えてみます。
 …実は、自分自身は別に多忙だと思っていないのではないか。頭の片隅ではそう思っていたりします。空気に乗っかってそんな気になってはいるけれど、相対的に楽になっているのは事実であり、忙しくもないのではないか。
 そうはいっても、周りは忙しそうというか、常に何かに追われているような雰囲気は確かにあります。私も毎日せかせかと動き回っています。ALTのカナダ人の先生は、私がぶつぶつ独り言を言いながらあたふたと職員室内を動き回っている様子がよほど面白かったのか、いつからかホリー先生は面白いと言って笑っています。悪い気はしません。
 一つはっきりと言えることは、現場の教師の裁量の無さが一つの原因だろうということです。やらされていることが多い。やっていることの意味を感じられないことが、たくさんある。だから、妙に、疲れる。
 私みたいな不良教師なんかはまだいいんです。若い頃から民間の教育研究団体に顔を出して、そこで知った面白そうな実践をあれこれと自分の教室で試してきました。今も教室の端っこにマットがいつも置いてあるし、去年は週に二回ほど、休み時間に勝手に合唱好きの子どもたちを集めて合唱グループを組織していました。あれは…楽しかったなぁ。今でも去年参加してくれていた子達が「先生、今年もやりましょうよ~」と言ってくれます。
 若い先生たちは、そういう世界をあまり知りません。真面目ですが。可哀想だなぁと思います。せめてそういう世界もあることを、伝えていきます。

 ここまでつらつらと、一人の小学校教師としての所感を述べてきました。読んでくれてありがとうございます。何か感じていただければ幸いです。

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