『賀状欠礼』!
毎日のように『喪中はがき』が配達される。
年賀状の季節だ。
例年なら『印刷』に回したりあれこれ準備の季節だが今年の賀状を持って
『欠礼』とした。
『手持ち無沙汰『と言うより『開放感』かもしれない。
とはいえ全ての方に『欠礼』の挨拶をしたわけではないので近々一応何枚かは用意することになるかもしれない。
本来は『義弟』が先月他界しているのいるので『喪中』でもある。
12月には『法事』で尾道に行くことになっているが、
『主人』なき故の『法事』なのだが『主人』が健在なればさぞ喜ぶだろうと
せんなきことを思ったりもする。
『コロナ』でこの3年集えなかった。
思えば誠に残念である。
多くの人々が今年も『悲しい別れ』をされた年だったのであろう。
人の『寿命』は神のみの知るところだが『寂寞感』や『空白感』は『時』だけが解消してくれるのかもしれない。
今日は先日の検査結果を聞きに二俣川のクリニックへ行かねばならない。
生きていればそれなりの用事が次々とやってくる。
それが『生きてる証』でもあろうか!