I AM THAT との格闘1

なかなか読み進めるのが難しい本である「IAMTHAT」をメモ書きを作りながら読んでいこうと思う。

どこがわからなかったのか。
これを書いている時点では、どのように読み取ったのか。
などをメモしていくつもりだ。
少し先まで読んでいるが、1章づつやっていきたい。

最近、こうした文章を書くようになり、妄言じみた内容も書いているが
アウトプットすることで、少し頭がすっきりするような感じがある。

書いて置いておくことで、少し離れてみることができる。
あの時はそう思っていたが、今はどうだろうか。と、外側に自分の言葉があるような気がしている。

地味にコツコツやろう。それが一番良い。

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p20-21 序文のようにニサルガの言葉がある。
ここに置くのだから、かなり彼の言葉で重要な部分であろう。主題となるような、本全体を象徴するような言葉なのだろう。

この時点で内容を一旦見ておきたい。
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自分が何であり、なにではないのか。
身体 感情 思考 時間 空間 などは 私が知覚できるもの
知覚できるというだけで、私ではない
マインドのレベルにおいては 否定的言語によってしか描写できない。
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ここで意味をうまくとれないのは、
「マインドのレベル」
「感情」「思考」 というのが、別におかれている部分だ。
「マインド」というのは、この後にもよく出てくる用語である。
彼の言うところの意味を取りたいが・・・

否定的言語によってしか描写できない。
というのは、中学数学でやった「この直線の下側ではなく、この曲線の上側ではない」というようなイメージをしているが・・・どうなのか。
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1 p23-
よく眠りや夢の話が出てくる。一つ気に留めておく。

「何も変わることのない背景に対する変化を前提にしている」
というのは、大変な指摘だと感じる。
これを読んでいたから、「自己肯定感の謎」を書いたのだと思う。
安定していた状態から 変化した。ということしか、人は感じないんじゃないか。
不自然さ 違和感がある時に、感知しやすいというのがあると思う。
会社の備品が動いていたとしても、自然な使いやすい場所に動いた時と、不自然な使い勝手の悪い場所にある時だと、感知するタイミングもかなり違うだろう。
自然・不自然というと、宇宙全史で「生命がエントロピーを減少させ、自然がエントロピーを増大させる」というような話があったように思う。
この辺りもあまり把握できていない所だ。

ニサルガの使っている言語の特徴なのか。ニサルガの特徴なのか。
質問者に質問を返している場面がよくある。
尋ねているようで、反語の表現の時があるようだ。
「○○だろうか?(いや、そうではない)」という、表現。
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ハートの感じること、
マインドの考えること、
身体の為すことを観察する。

体験者が体験に実在性を与える。
記憶が連続するという幻想
同一であるという感覚は、体験者と体験に共通の要因があるから
連続性と同一性は同じではない
数々の体験者も記憶においては別々でありながら、本質では同一の気付きの中に現れる。
この本質が 根本 基盤 すべての体験の「可能性」
大いなる愛
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この辺は次章以降に考えていきたい。
ニサルガが使用している単語一つ一つが、結構濃いように思う。

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