I AM THATとの格闘 番外3

用語解説に勝手な、解釈を付けていく。
の、2回目。
マインド関係の用語のまとめ をやっていきたい。
 
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アンタカラナ 知性(ブッディ)自我(アハンカーラ)マインド(マナス)を含んだ集合的な意味のマインド
マナ(マナス) マインド・理解。思考・識別の機能。

これはやはり、苫米地博士のいうところの「内部表現」というヤツではないだろうか。
本文中の「マインド」を一概にとるのではいけないのだ。
大きな意味での、精神活動全般 アンタカラナ と
小さな意味での、最下層である マナス があるのだろう。
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本文中「実存の反映」という用語について。

ブッディ 知性 マインドの中での実存の反映
ブッディはマインドが現象界のなかで、対象の知覚を可能にする機能。
ブッディがマインドの媒介を通して機能している限り、純粋意識を知ることは不可能である。

ヴィヴェーカ 実存・非実存 真実・偽りの識別
マインドの背後に隠された霊的意識の表現
ヴィラーギャへ(世俗的欲望の不在)

実存の反映という用語がでてくると、
「知覚・体験しているのは、誰なのか?」
「誰の反映なのか?それを探し出すのだ。」
と、繰り返し出てくる印象がある。

ブッディ=仏性 としている界隈があった気がする・・・
どうだったか。
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一般的にエゴ といわれるような辺り。

ヴィヤクティ 外的な自己

サンスカーラ 精神的印象 記憶
スマラナ 記憶 マインドの中で復唱すること

ジーヴァ 個人の魂
身体 感覚 マインドとの偽りの自己同一化によって現れる。

マーヤー 実存を覆い隠す幻の力。本性は欺くこと。精神的投影の総体。

記憶 を意味する言葉が二つ取り上げられていた。
精神的な印象を 記憶 としているのは、脳科学もあったように思うが・・・非常にあいまいである。
「過去を思い出すという行動は、精神的な印象を核とし、細部を組み立てていく作業である。そのため、悪い印象を元々もっている出来事であれば、思い出す度に尾ひれがついてくる。
過去に対する印象を変えること。」
という話が合ったように思う。

記憶 マインドの中で復唱すること
これもよく見かける場面ではないだろうか。
「俺は若いころワルだったから、」
「自分はあの時イジメられたので、」
と、繰り返し口に出す人がいる。
これを記憶 としているのだ。

ポジティブな意味での「私は○○なので、」を繰り返し、
自己洗脳していくのをアファメーションというのだろう。
と、解釈している。
反対にネガティブな内容を繰り返し、自己洗脳している人について、
苫米地博士の「洗脳護身術」内に指摘があったと思う。

ニサルガは、この「私は○○なので、」を一切辞めるよう 繰り返しい言っている。
「自分ではないものとの自己同一化」というような表現だ。
確かに、判断をしているのは、誰なのか?
「○○である」という評価は誰がしているのか。
その評価は どのような基準で、本当に正確なのか。
小さなマインドの「私は、私が」という姿が、現われてはいないだろうか。

ジーヴァ 身体 感覚 マインドとの偽りの自己同一化
マーヤー 実存を覆い隠す幻の力。本性は欺くこと。精神的投影の総体。
この二つが、刺さる部分だ。

ニサルガは
「人生をより良く生きたい」とか、「成功したい」ではなく、
「現象界を超えた先」を探求する姿勢を示しているのだろう。

「ジーヴァ 偽りの自己同一化」というのは、どこまでもついてくる問題だろう。
生きているというのは、いくつかの世界を貫いて存在しているということで、その最下層が現象界
というのが、いくつかの界隈で示されていなかっただろうか・・・
ひふみ神示にもあったような記憶があるが、どうだったか。

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苫米地博士は、
「まず毒矢を抜く」段階の説明を 安く読むことのできる書籍で
している印象がある。

私は、苫米地博士についても尊敬している。
ニサルガの言葉と比較する場面もあるが、誤解されないように。

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