読書記録:コンパッション都市 公衆衛生と終末期ケアの融合 序章〜第1章
アラン・ケレハー 著, 竹之内 裕文, 堀田 聰子 監訳. コンパッション都市 公衆衛生と終末期ケアの融合. 慶應義塾大学出版会. 2022.
この本を通して明らかにしたいことは?
Q.エンドオブライフケア(人生の終わりのケア)に対するパブリックヘルス(公共の課題としての健康)を組み立てるには?
A.コンパッション都市というモデルの提唱
健康と社会的ウェルビーイングが気にかけられている。
その気遣いは、一人ひとりの経験する死にゆくことdying, 死death, 喪失lossに及んでいる。死の理解はアイデンティティの死や帰属の死を含む。
その理由は?
パブリックヘルスの現状と問題
産業革命後18−19世紀では、公衆衛生が進み死亡率が低下した。
1970年代:感染症よりも慢性疾患(糖尿病・高血圧等)が徐々に問題となり、個人への健康増進health-promotionが着目されるようになった。
しかし時に個人への自己責任論を誘発するため、現在は徐々に「コミュニティに対する健康増進」にも目が向けられ始めている。WHOの提唱する「健康都市」やSocial determinant of health(SDH)が近い概念である。
しかし今まで、パブリックヘルスにおいて死や喪失に対する議論はほぼされていなかった。本来はパブリックヘルスでこそ「死」や「喪失」が支えられていたにも関わらず…
エンドオブライフケアの現状と問題
かつて死や喪失は普遍的なものだった。コミュニティと相互扶助によって支えられていた。
ホスピスに端を発した死の専門職化に伴い、公共性は失われ、死の個人化が進んだ。
歴史的な背景・財源の限られた保健サービスの問題から、「エンドオブライフケア」≒予後が明確な悪性腫瘍に対する「緩和ケア」になった。
宗教組織が提供していたホスピスが医療化されたことで、全人的ケアは単なる医療の一要素となった。
どうすれば実現できる?
過去の研究から明らかになった「死にゆく人のケアの主要なテーマ」
死にゆく人のケアは、家族とコミュニティにとって平常・日常Normal and routine →非日常となった現代では、公共教育が鍵となるかも?
コミュニティの関係性Community relationships
全人的ケアWhole person careでなくてはならない
国の関与Involvement of the state
予防という発送the idea of prevention
ヘルスケアは保健サービスという発想を超えたものbeyond mere services
この本における用語集
コンパッション:思いやりのみならず、互恵性+具体的行動
パブリックヘルス:公共の課題としての健康。≠公衆衛生
ヘルスケア:人と人との間の、健康と病をめぐる「ケア」のすべての包含
病:存在の状態と社会的機能において価値を引き下げられるという変化の諸経験(人類学より)
疾病:近代医学の科学的なパラダイムにおける身体器官・組織の構造・機能に関わる異常(人類学より)
ここまでの読後感想
パブリックヘルス≠公衆衛生。お上が色々指示するのではなく、住民が少しずつそコミュニティへの健康に責任を持つ、という認識。そしてその健康の中に、「エンドオブライフケア」も包含する。
エンドオブライフケア≠緩和ケア。エンドオブライフケアの想定する範囲が思った異常に広い。例えば死や喪失に瀕する「難民」なども例として上げられていた。最終的には程度の差はあれど、われわれ全てに適応される概念なのだろう。
この本が書かれたのが約20年前で、日本語訳されたのは最近だが、先見の明がすごい。まだ第1章しか読めていないので、これからも楽しみ。