(ネタバレ)日本沈没2020とはなんだったのか?・2
前回
前回の記事では、第1話・第2話におけるテーマ性やリアリティラインの低下について述べたが、第3話以降はこの傾向がより一層顕著になる。
第三話 マイオリタキボウ
父親が爆死したあと山中を進む一行であったが、歩と母・マリの仲は拗れる。そんな中、一台のトラックに乗せてもらうも…といった感じの回。
流石に山芋不発弾ばりの突拍子もない展開こそないものの、かなりストーリーラインの不安定さを感じる回ではある。
本作のストーリーは、その設定上どうしても行き当たりばったりとなってしまう。日本を脱出するとか、どこに向かわないといけないとか、そういった目標が後半までないので、ふらふらした展開が続く。
例えば、トラックの運転手は主人公一行である三浦七海に性暴力をはたらくが、かろうじてこれを回避する。このシーケンスは全く脈絡のない、言い換えれば必要のない展開だ。
その後、七海は火山ガスで死亡する。歩も危機一髪であったが、空からタイトルの如く舞い降りたYouTuberの KITEによりなんとか九死に一生を得る。
3話の終盤は道中訪れたスーパーマーケットの店主に弟・剛が弓矢で射抜かれて終わる。
とまあ、ストーリーは細かなエピソードの連続でまとまりはあまりない。さらに言えば、一生に出くわすか分からないイベントの連続でリアリティラインも急降下である。
日本沈没2020はアニメであり、実写と比べて多少のファンタジー性が許される作品ではある。だが、舞台が現代日本、主人公が一般的な女子中学生である以上、非現実の連続は評価を下げる要因となりうるのだ。
一方で、テーマの一貫性は保たれている。暴漢に襲われた際に歩は懐中電灯を使い窮地を脱するわけだが、これは爆死した父が照明技師であったことに由来している。
本作のメインテーマの一つは家族であると書いたが、もう一つは「礎」である。連綿とした人々の繋がりこそが命を繋ぐというのが2つ目のテーマだ。照明や灯りはこの後のちょくちょく出るが、これは礎を体現する要素だろう。
第四話 ヒラカレタトビラ
賛否が非常に分かれた、シャンシティならびに大◯カレーの登場回である。
まず、前回で射抜かれた剛であるが、かろうじてゲーム機に矢が刺さって助かる。犯人である店主の疋田は一行から責められるも、剛が許したことで和解する。
この態度は暴漢とは大きな違いである。暴漢は日本は終了したとしきりに呟き主人公達を襲うという卑劣な真似をしたわけだが、疋田は土地や場所を最後まで守り抜いた人物である。
この人物像は描きたいことが優先しすぎた弊害であると考えられる。というのも、主人公一行の2人に対する接し方はいささかリアルではない。普通の人は家族を殺そうとした人物を簡単に許したりはしないだろう。
一方で、テーマという点から見れば意外としっくりくる。疋田は家族や礎を守ろうとした人物で、この点が歩たちに引っかかったのだろう。
スーパーマーケットは地震により倒壊し、居場所を喪った一行は道中で拾った外国人ヒッチハイカーのダニエルと共に琵琶湖沿いのシャンシティへ向かう。
実は、この途中で地震の状況や被害がちょろっと挟まれる。原発事故により雨には放射線が混ざり、国は日本国民救済計画であるD計画を実行に移す。個人的にこのような細かなニュース描写などは大好物なため、もっと欲しかった。
シャンシティに迎えられた一行は、久々のシャワーや温かい食事に満足する。シャンシティにはモンゴルのゲル風のテントもあり、衣食住が満たされたといって過言ではない。なんだかんだ、非日常において重要なのはこういったインフラや当たり前の環境という描写である。
しかしながら、シャンシティは本作で最もファンタジーな要素であろう。◯麻を堂々と栽培し、謎の巨大な塔が鎮座し、自給自足をしている。自分もこのシャンシティに関しては否定的な見方をしていたが、今から見れば日本沈没2020にとってはかなり重要なパートであるように感じる。
つづく