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(ネタバレ)日本沈没2020とはなんだったのか?・1

Netflixアニメ「日本沈没2020」。2020年に配信され、同年に劇場総集編も公開された本作は、とんでもない怪作である。

本作は名前からも分かるように、小松左京先生のSF小説「日本沈没」のアニメ化作品という体をとっている。というのも、本作のストーリーや基本設定の9割がたは原作には存在しないオリジナル要素であり、原作というよりは原案に程近い作りになっている。

そんなこと(とかネトウヨの皆さんにブチギレられた)があったりしたせいで、本作の評価は散々なものとなった。というか中にはロクに観てないものもある。かくいう俺も、ノベライズとアニメを観てかなり激怒した過去がある。

しかし、そこまでのアニメだっただろうか?4年という月日が経過し、改めて振り返って思うのはそこまで変なアニメではない、がアニメ力は弱いという感想であった。今回のnoteはそう思った感想を連ねるだけのものである。なお、別のnoteにて希望のひと、そして「日本沈没ですよ」へのお気持ちを綴る予定である。

あらすじ

以上、Wikipediaより。書いたのは俺。

第一話 オワリノハジマリ

物語にとって一二位を争うほど大事な回が初回である。本作ではこの初回で大地震と家族の再会が同時に描かれる。

まず、本作のメインテーマは家族である。家族としては何が必要で、何が必要でないのかというものが10話かけて描かれる。そのため、最初に一般的な家族の姿が描かれるわけだ。父がいて、母がいて、子供がいる。ごく普通の家庭だが、母はフィリピン人という特徴がある。

家族が集合するのは、父が木をライトアップした神社である。このライトという要素も、このあとストーリーに絡んでくる。

…という風に、1話の時点でテーマの一端は既に見えているのだ。起承転結の起はしっかりしているわけだ。実際、1話はアヌシーで受賞するほど評価が高い。

しかしながら、この1話でも震災描写の節々に違和感がある。例えば揺れの描き方はかなりアニメチックな、悪い意味で誇張したものであるし、都心の燃え方もかなり不自然だ。

本作の批判の一つに震災の表現がイマイチというのがあるが、これに関しては首を縦に振るしかない。自分も、最初はこの点に重きを置いていたし、そのせいで評価が低くなった。

第二話 トウキョーサヨウナラ

沈みゆく東京から脱出し、山中へと避難する2話である。冒頭では、SNSとそれによるデマ、群衆を先導するリーダーの存在など、今っぽい要素がふんだんに盛り込まれている。ここらへんは原作からのアップデートと呼んでいいだろう。

一方で、2話はかなり退屈は話でもある。最後の方までは基本的に映画「サバイバルファミリー」と似たような、冒険ものチックなストーリーが続く。日本沈没として観たらかなりの肩透かしである。

そして、ラストには本作で最も物議を醸したであろう場面が待っている。主人公・歩のために好物である山芋を掘った父が不発弾で爆死するのだ。

もう一度言おう、不発弾で爆死するのだ。

この突拍子のない展開には多くの視聴者が驚愕し、少なくない数が視聴をやめたであろう。かの指原莉乃ですらやめたほどだ。

だが、実はこのいわゆる山芋不発弾と先述のインターネットはいずれもリアルなのだ。前者は宮崎空港での爆発事故が記憶に新しく、後者はXをやれば嫌というほど目に入る。

では、このうち不発弾のみがなぜここまで嫌悪感を湧かせたのかといえば、リアリティラインの著しい低下が原因と考えられる。

確かに、不発弾は日本中で見つかっているし、爆発事故も起きた。しかしその頻度はXで胡散臭いポストを見るよりも明らかに少ないのだ。そしてこれを言い換えるならば、リアリティがないのだ。滅多に起きない事象であるがゆえに、リアルではあるがリアリティはないのだ。

そして、このリアリティラインの低下はより一層ひどくなる。

つづく

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