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コロナ後遺症の経過〜休職にいたるまで〜

経過について、更新したいと思いながら、あまりに辛かったので、思い出したくなく、時間がかかってしまいました。

概要は、わかりやすいかなと思ってつけましたが、文章だけでもわかるようにしています。よかったら、読んでもらえたら嬉しいです。

1.概要

2021年6月 ★期間1★
腕の痺れがよくなるどころか、どんどんひどくなる。病院受診。筋膜痛疼痛症候群、胸郭出口症候群と診断された。「動かさないと治らない」と言われ、リハビリ開始。

2021年7月 
気が狂いそうなほどの痛みになる。病院めぐり開始。「気のせい」「気にしすぎ」「不定愁訴」のオンパレードで、痛み止めの調整もしてもらえず。昼休みは、職場(病院)のリハビリ室のストレッチャーで横になって、休みながら仕事をするように。生活面では家事ができず、実家に頼り出した。

2021年8月
往復3時間かかるクリニックで、ようやく合う痛み止め(トラムセット)を見つけてもらう。はじめは気休め程度にしかきかず、上司に「死にそうな顔をしている、顔色がおかしい、休んだ方がいい」と言われる。実際、痛くて眠れず、夜中に散歩し、川端や道路のはたで「この痛みをかかえて生きていく自信がない…」と、道路にたたずんだりしていた。

2021年9月。
2週間有休消化。

2021年10月
症状が改善し、復職。痺れの症状は残っていたため、病院めぐりは継続。たらい回しにされる。

2022年1月
なんとか生活できるくらいに回復。一通りの家事、お弁当作りはできるようになる。トラムセット中止。

2022年3月
趣味のマラソン、お見合いなど再開。無理はできないものの、ほぼ寛解に近い状態になり、しあわせを感じる。

2022年4月 ★期間2★
部署移動。デスクワークが増え、作業環境も悪く、症状が一気に悪化。いろいろな病院へ行くが、診断書は書いてもらえず。トラムセットも効かず。

2022年5月
起き上がれなくなり、後遺症専門外来受診。休職。(胡散臭いと思って避けていたが、背に腹はかえられず。けど、行ってよかった!)


2.具体的な症状

★期間1★
左肩から指先にかけて、痺れと痛みがありました。はじめはあまり心配していませんでしたが、どんどん悪化。普通の痛み止めは、効きませんでした。

2021年6月末、病院受診。筋膜痛疼痛症候群、胸郭出口症候群と診断され、リハビリが始まりました。リハビリすればするほど、どんどん悪化。

7月、「なにかおかしい」と病院巡りを開始しました。

ほんとうにたくさんの病院にいきました。けれど、まだ、後遺症の概念がなく、"医学的にありえない"と言われ続け、疲れがひどくなるだけでした。

あの頃は、後遺症の症状がでても、精神科に行くしかありませんでした。(わたしは納得できなかったので、精神科へは行きませんでした。)

自分の中では原因がはっきりしているのに、誰もとりあってくれない。しんどいと言っても、よくあることのように言われて、異様さが伝わらない。伝えようとすればするほど、自分がおかしくなってしまったように感じられました。「気のせい」「気にしすぎ」「不定愁訴」と痛み止めもだしてもらえず、精神科を勧められました。自分が精神的にどうにかなってしまったのか、症状に加えて思い悩む日々でした。

7月中旬には、気が狂うと感じるほどの痛みになっていました。普通の痛みではなく、脳に直接響くような、いのちが削られているような、そんな痛みでした。

睡眠薬を飲んでも2時間程度しか寝れなかったです。目が覚めた時、左肩の痛みをかばうためか、左肩が宙に浮いていることが多く、ゾッとしました。背中が板のようになって、横向きでバランスをとって寝ることができず、仰向けでしか寝れなかったので、左肩をかばう方法がそれしかなかったんだと思います。なにかから逃れるような姿勢で寝ているという事実が、ほんとうに恐ろしかったです。

また、自分の身体が自分のものでないような違和感がありました。歪んでいる、まっすぐ立てない、身体が緊張して突っ張る、思っている動きとなにか違う…そんな不快な感覚が24時間つきまといました。

そんな状態なので、倦怠感がでないわけもなく、慢性的にだるく、昼休みには横になって休ませてもらうようになりました。

仕事以外はほとんど動けない日々が始まりました。仕事が終わると倒れ込むように横になって、横になっても痛くて、身体の異常な緊張もとれず、苦しかった。

もちろん、家事ができるわけもなく、実家の母に家事を手伝ってもらいながら、なんとか仕事だけは…という思いでした。(ちなみに、一人暮らしです。)

コロナ禍の病院勤務。みんな、気晴らしもできず、ピリピリしてました。職員全員が、必死で頑張っていて、痛みくらいで休むわけにはいかないと思っていました。(わたし自身は事務職なので、最前線で働いていたわけではないです。)

デスクワークで症状が悪化するので、何万円もかけて、高額なクッションや椅子を買ったり、デスク周りの環境を整えたりしました。立ってパソコン作業したりもしました。

理解者もおらず、気づいた時には、この痛みに耐える自信がない…このまま死ぬのかな…と思うようになっていました。

8月、痛み止めを出してくれる病院をみつけました。ただ、中枢神経に作用する痛み止めも、はじめは気休め程度にしかきかなかったです。

8月末、上司に、休んだ方がいいと言ってもらった時、ほんとうに救われました。自分では、判断できなかった、、、。

痛みというのは、体調というのは、目に見えない。だから、自分が気づかないうちに、我慢し過ぎてしまったり、自分を追い詰めてしまう。わたしは理解ある上司のおかげで、そのことを知ることができました。(だから、もっと世の中の人に知ってもらえるようにしたいです。)

9月、有休をつかって、休みました。身体の緊張は、すこし和らぎました。痛みや痺れ、倦怠感といった症状はあるものの、ずいぶん生活しやすくなりました。

10月には復職。痛み止めの副作用で、仕事中眠かったけれど、痛みよりはマシでした。はじめは、母の手助けが必要でしたが、日に日に自分でできることが増えていった記憶があります。

1月、痛み、痺れ、倦怠感の症状は残っているものの、職場に持っていくお弁当を作れるようになるなど、日常生活を取り戻しつつありました。

★期間2★
4月、部署異動。デスク周りの環境が大きく変わり、症状が一気に悪化しました。

床がたわんでいて椅子ががたつく、パソコンモニターが小さい、などの些細なことが、わたしには負担になりました。

首筋から左の指先まで、異様な緊張がはしりはじめ、その後は以前と同じ症状が現れました。

そして、日に日に症状が悪化。両足まで痺れるようになり、水道水の匂いや歯磨きでえずくようになりました。

食事がとれず、すこし痩せました。そして、衝撃的だったのが、下着がブカブカになったことです。お尻の筋肉がごっそりなくなったみたいに垂れて、ボコボコがたくさんできました。ひきつっているような感じです。それとともに、立つ時に力が入らなくなりました。そして、歩く時、足を引き摺るようになりました。わたしの足はどうしちゃったんだろう?感覚はあるけど、自分の意思で動かせない…これからどうなるんだろう…恐ろしかったです。

そして、ゴールデンウィークに入り、どうしても起き上がれなくなってしまいました。予定も入っていましたが、すべてキャンセルしました。

そして、ゆっくり休んだことで、自分の状況の異様さに気づき、休職を検討しはじめました。

けれど、これまで通ったどの病院も、病名が書けないから診断書は書けない…痛くても働きながら治すのが普通だ…と、取り合ってくれませんでした。

わたしは、なんだか胡散臭いなぁと思っていた後遺症専門外来へ行くことにしました。そして、やっと、理解してくれる先生に出会って、休職することになりました。

休職する時、そんなにつらい思いをしているなんて気づけなかった、ごめんね、と職場の人に言われました。

つらかった、けれど、今でも思います。この症状は、どうやったら人に伝えられるんだろうと。自分でも不思議なんです。だから、まわりの人はもっと不思議だろうなって。




3.さいごに

わたしは、後遺症を甘く考えていました。

もう治ってきてたし、前は2週間休めばよくなったから、すこしくらい大丈夫。このくらい、頑張ればできる。そんなふうに考えていました。

頑張ると言っても、今までなら普通にしてたことです。椅子に座ること、歩くこと、パソコンをみること。

だから、余計に、このくらいできなくてどうする、甘えちゃダメだ、気の持ちようだ、、、と自分を追い込んでしまいました。

その積み重ねで、気づいた時にはとんでもないことになっていました。その結果、休職7ヶ月目でも、いろいろな症状に悩まされています。

自分で自分を疑って、自分の身体の感覚を信じられなかった。ほんとは、異常だ、こわいと思っていたのに、それをまわりの人に言う勇気がなかった。

これからは、自分の感覚を大切に過ごしていきたいなと思います。そして、こんな自分でも、ちょこっと世の中の役に立てることができたらいいなとも思っています。

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