「いじめられる側にも原因がある」
いじめの話題なると、よく言われるのが
「いじめっ子が100%悪くて虐められてる側は何も悪くない」
「いじめられっ子が原因でいじめられるというのは絶対に無い」
こういう話を、学生時代に耳にタコができるくらい聞かされた。
もちろん、間違ってはいないし、いじめというのはいじめる側が確実に悪いのでいじめっ子を擁護する気は全くない。
しかし、「いじめられっ子が悪いなんてことはない 」なんてことは言えるのだろうか?
自分は言えないと思ってる。
自分はいじめる側、いじめられる側の両方の立場を経験している。
経験しているからこそ、感じたことがある。
いじめは確かに悪いことだが、「いじめられる側にも原因が確かにある」ということ。
こういうのを話すと、一部の人は否定的な立場を取ると思う。
でも、実際いじめというのは「単なるストレスの発散」で行われることっていうのは滅多にない。
大体の理由が「被害者側に何かされて、それにむかっ腹が立って復讐する」というのが多いと思う。
そして、被害者側はその原因を自覚していない。
だから加害者であるいじめっ子が全部悪いと言われる。
再三言うが、いじめを肯定しているわけではない。いじめっ子は罰せられて当然だと思ってるし、いじめなんて無い方がいい。
ただ、「いじめられる側にも原因がある」という意見を全否定するような教え方はどうかなとは思う。
自分が加害者だった頃、何故いじめをしてしまったのか。
それは、相手側がかなり問題のある子だったから。
ちょっと障害を持ってる感じの子で、ヨダレをダラダラ出してる男の子。
喋り方も変で、常に何かしらの奇行をしてて知能が低い。
故に彼は無自覚に他人に迷惑をかけることが多かった。
女の子の机にヨダレ垂らしたり、授業中騒いだり。
自分とその子は同じ部活だったのだが、とあるアクシデントで自分の友達の口の中にヨダレを垂らしてしまった。
彼は自覚がなくて謝らない。それどころか、何をするにもダメダメで連帯責任まで負わされる事も少なくなかった。
自分は彼に対して腹が立った。復讐してやりたい。そう思っていじめをした。
威圧的な行動を取ってみせたり、暴力を振るったり。
今はとても後悔しているが、当時は復讐のためにいじめてやると思った。
それからしばらくして、今度は自分がいじめられる立場になった。
物を隠され、仲間はずれにされ、給食は取られ……。
原因はもちろん、自分がいじめをしていたのと、無自覚に過度なちょっかいを出しまくってたから。
自分に落ち度があった。
それで気づいた。「いじめられる側にも原因がある」というのは間違ってないんだなって。
いじめられる側の人は、多分「何もしてないのに一方的にいじめられた」と思ってる人が多いと思う。
でも、実際問題その人に興味が無ければいじめられる事なんてない。
気に入らないから。何かされたから。だからいじめるってケースがほとんどだと思う。
いじめられる側の人は自分が一方的な被害者だと思い込み、被害妄想というかひねくれた歪んだ感情を持つ人が多い。
それは、「いじめられる側にも原因がある」というのを否定する教え方に問題があるからだと思ってる。
「いじめられる側にも原因がある、なんて言うのはおかしい。何があってもいじめる側が悪い」
最近のニュースとかでも、理由がどうあれ「暴力を振るった方が悪い」だの「いじめる方が悪い」だのと感情的になる人が多い。
何度も言うが、いじめられる側にも原因はあると思う。自分がそうだった。いじめた相手も障害を持ってるとはいえ、人にヨダレを垂らしたり自分の机にゲロをぶちまけたりしてた。これは悪いこと。
それと同時に、いじめられる側になった時に彼をいじめてた事、過度なちょっかいを出し続けてたことは悪い事。
いじめられる側にもしっかりと原因はある。
再三言うが、いじめを肯定するつもりはない。いじめをした事を今でも後悔してる。
だからこそ、いじめは無くなって欲しいと願ってる。
「いじめられる側にも原因がある」っていうのをしっかり教えた上で、「どうすればいじめられないのか?」という事を教えるような環境を作って欲しいと心から祈ってる。