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中学男子の成長を見守る親の修行【思春期男子成長記】
今の次男は高校生になりようやく先を考えて行動するようになったが、中学生までは今を生きる子だった。今この瞬間にやりたいことをやって生きる。思春期男子にはよくある話なのかもしれない。実際次男の友だちは割とこのタイプが多かった。類友か(笑)
目先のことだけ見ていて、高校受験のことはおろか、1週間先のテストのことも見て見ぬふりをし続けているのではないかと思える感じだった。想像力が乏しいのか、想像すること自体が面倒、あるいは怖くてできないのか、そんな姿を見て母はイライラしてしまう。
子どもが自分で動き出すのを見守りましょうなどと子育てに関するサイトを見ても、どうやったら落ち着いて見守れるのだろうかとまたイライラしてしまう。
イライラがピークになると過剰に心配して、勝手に焦って、よからぬ妄想を繰り広げ、要らぬ声かけをして、息子からイライラを返されて、「あーやってもーた」と反省する。
そうだよ。
結局は母が安心したいがために息子を動かそう(勉強させよう)と思っているだけだよ。
どうにか心を鎮めて、子どもが自分で動き出すのを見守ろうとしてみるが、実際の我が子を見るとやはりモヤモヤ、イライラして要らぬことを言ってしまうのだ。
「○○はできそう?」
「いつからできそう?」
「どんなふうにするの?」
かーちゃん、どうせ信用してないやろ?
こんな言葉を投げられた時に、はっとした。
確かに信用できていないのだろう。
信用しようと努力している時点で信用していないのだ。
怒るでもなく、褒めるでもなく、促すなんて都合よく自分の中で変換した言葉の裏にある私の感情に見事に感づいていた。
親として自分の浅さ加減にうんざりして落ち込む日々。
長男の時にはこれほどには親としての能力のなさを突き付けられなかったのに、次男は容赦なくこちらに刺さる言葉を返してくる。
そのことはありがたいお言葉として受け止め、自分自身を見つめる修行に打ち込む。それでも人間なので、同じ失敗を繰り返し、次男に謝り、反省をする。
そんな日々で気づいたこと。
それはどんなことがあっても次男のことが大好きだということ。
スマホの約束事を破ったり、(勉強してないから当たり前だけど)テストがうまくいかなかったりして次男が落ち込んでいた時、「もう俺なんておらんほうがいいやろ。無視してくれていいよ」などとつぶやいていた。(繊細かよ)
そのたびに
「そんなことできるわけないやん。だって、かーちゃんはⅯのことが大好きだもん。」とちょっと言っている自分に酔いそうな言葉を返し続けた。
この言葉が響いたかどうだかわからないが、次男は次男なりのスピードで少しずつ先を見る能力を身につけていった。なかなかゆっくり過ぎる成長スピードのせいで、結局のところ高校受験ギリギリまでヤキモキしっぱなしだったけれど。
今となっては息子にも自分自身にもとことん向き合えたよなぁとよい思い出でしかない。(思い出をすぐに美化できるタイプ)