94. 仲良しさん
農業一筋の父のプライド
家族そろっての田植え、ヒルが怖い 暑い 腰が痛い。植えた苗がまがっています。
「よがんどる。見苦しか!!
道端だけん皆んながみらす!もう帰れ!」大きな目をみひらき、方言で怒る父は怖かった。
「すぐに大きくなるけん、わからなくなるタイ」
と、ブツブツ言いながら帰った事を思い出します。今は機械植えでまっすぐです。
寒い時期に植え、暑い時期に刈り取る。
い草刈りには日雇いの方が約一ヶ月ほど泊まり込です。
若い方が多く青年団との交流で活気溢れ、い草刈りでご縁結びもありました。
機械の発達で家族内できるようになりましたが、畳表の需要低下に伴い、い草農家は減少。帰省の道のりにはい草の香りはなくなりました。
農業が嫌で家を出た私を、家族とい草の香りは優しく迎えてくれていたのです、
家を新築後ますます庭の手入れに精をだす父。
数十年前、軽トラに木々とスコップ、肥料もろもろを積み込み、3時間弱の道のりを、朝早く来て夕方には帰る、たまに泊まる。庭を飾ってくれました。
今は親子船の木だけになりました。
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家族全員コロナに罹患し
母は入院治療後体力低下と認知症悪化、そして、一番の打撃は利用していた施設のショートステイ閉鎖でした。
ショートステイとデイサービスは介護者には頼みの綱です。
一人だったら大丈夫かなと介護度の高い母の施設入所を決めました。2023/1/7 病院から施設へ入所。
自宅で父は一人となり、夜間母を探したり、玄関の鍵をあけ外に出る。徘徊が頻回になりました。
田んぼも気になっていたようです。
父の施設入所を決断。
母と同施設。二人一緒です。家からも近い。
施設入所に至るまで妹の葛藤はありました。
まだ会話ができる二人。施設での楽しみも経験できるからと後押し、ようやく決心。
90代の親二人の介護負担は大きかった。
遠いからと介護は妹任せでした。甘えていた。
2023/3/2 施設入所日、義弟に
「世話になったな。後はよろしく頼む」と父。
皆、こんな言葉を聞くとは……
涙の別れだったとのこと。
施設生活約一年半
月2回 15分
兄弟、甥姪、子供や孫の面会はいつも涙。
妹が皆に声かけ、寂しがらないようにしていました。
本当にありがとう。
「お母さん和かですね。よくお話されてます」
「お父さんさん新聞よんだり書き物をされています」
父の帰宅願望はありました。
🪷…… …… …… …… 🪷
今年の2月 母の訃報を新聞で知り
「〇〇が死んだ〜」と大声で泣いていたそうです。
コロナ禍の中、施設との折り合いもあり、葬儀には出席できませんでした。
母が亡くなる前日、手を握り長い時間話かけていたそうです。
看取りの母でしたが状態は落ち着いていました。何か通じるものがあったのでしょう。
父は最近足の浮腫がひどく、体重も8Kg増えていました。
施設から病院での治療も打診されましたが高齢でもあり、ベッド上での生活よりも施設での生活と治療を続けていただきました。
面会に行くとすぐ泣きます。
「家がよかばってん、ここも皆んなよーしてくれるけん、居らなんたい」
面会の度『 100歳のお祝いするよ』
皆、お祝いできると思っていました。
6/22 施設より状態変化の連絡がありました。
父も母と同じく眠ったまま旅だったのです。
もし自宅での介護を続けていたら、穏やかな気持ちで見送れなかったかも、、、。
今年のお盆は、父の七七日忌と母の初盆でした。そして、姉の十三回忌。
お土産のあんぱん三人で食べたかな。
孫(姉の子)が焼いたパン大好きだったからね。
これからの法要はいつも一緒。
ホント仲良しさんだね。
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https://note.com/tender_cosmos574/n/nda15015d3b2a
https://note.com/tender_cosmos574/n/nd482518b9c32