ピクトグラム何処行く
外に出れば必ず一度は目にするであろうピクトグラム、一番よく目にするのはトイレだろう。その次に目にするのは何だろうか、非常出口に書かれたピクトグラムだと僕は思う。
疑問に思うのだが、このピクトグラムが進む先には何があるのだろうか。あくまで私たちの出口を示すためにあるのであって、彼自体が目指している先は出口ではないのかもしれない。いや、彼にとっては違う意味での出口が白い光の先にあるのかもしれない。彼はどこからどこに出ようとしているのだろうか。
よくこのピクトグラムと一緒に書かれている「EXIT」の意味を調べてみた。「出口」という意味が大半ではあったが「死ぬ、死」という意味も意訳であった。そして語源はexitの語源はラテン語の「exire(外へ出る)」で、この言葉は中世英語の「egress」という言葉に変化し、現代英語の「exit」という単語になったらしい。つまり、exitは外に出るという意味を持っている。
こうして意味と語源を並べてみるとかなり無理やりではあるが、一つの仮説が立てられるかもしれない。それはこのピクトグラムは死という出口に向かって生という空間を飛び出そうとしているという仮説だ。僕らにとっては非常口は緊急時、災害だったり人災だったりととにかく命の危険が迫っている時に使う場面が多い。つまり、死から逃れるために生を目指すために使う物だ。そう考えるとピクトグラムと僕らの「EXIT」は部屋と出る先が真逆になる。何故だろう、何故ピクトグラムは死に向かおうとしているのか、そしてピクトグラムに白い光の先に行ける日は来るのだろうか、僕らは彼が白い光に向かって駆けている場面しか知らない。彼のバックグラウンドを知るには情報が少なすぎる。彼が出ようとしている部屋はとんでもなく広くて辛いものであり、彼は長い時間もがき続けついにこの出口に辿り着いたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。また、白の光の奥に広がっているのは、何もない虚無かもしれないし、桃源郷のような天国かもしれない。僕らがこれを知るのは中々厳しいことだろう。彼に何が迫っていて、どこに彼が逃げようとしているかは彼までもがわからないことかもしれない。最初はわかっていたかもしれない。だが彼は僕らのために非常口の目印になるために目の前のゴールに入ることをおあずけされている。それも1920年代に彼らが作られて以来、ずっとだ。彼はもう何故自分がそこにいるのかわからず出口に向かうポーズをとり続けているのだとするなら、僕らは緊急時非常口を伝って外に出れたとしても、それは「一人」の犠牲あっての脱出なのかもしれない。
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