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【第19話】36歳でアメリカへ移住した女の話 Part.2

*このストーリーは過去のお話(2010年~)です。
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 ダンナはシアトルに来てから、随分、明るくなった。
 笑ったリ、踊ったり、ときには私に笑顔まで見せる。
 シカゴ時代を思い返せば、劇的な変化だ!

 とはいえ、不可解なリアクションはいっぱいある。

 例えば、国民的黒人音楽番組「ソウル・トレイン」を見ながら、二人で踊っているときだ。
 狭い部屋なので、机で足を打つこともある。
 骨が折れたり、足の肉がパッカリ割れたとなると大騒ぎだけれど、ちょっと痛い程度なら、なーんてことはない。
 けれども、ダンナは違う。

ふぁーーーーーーーーーーーっく!!!!!

 それまでの楽しい時間は一転、部屋の中に怒りの空気が充満する。
 確かに、足の先っちょは痛い。
 まったく理解できないわけではない。

 本当に理解できないのは、私が足を打ったときだ。

どこ打ってん?!ふぁーーーーーーーーーーーっく!!!!!

 痛いのは私なんだけど・・・。
 笑うことも泣くこともできず、取り残された私はどうすりゃいいんだ?
 まだまだ踊りたいけれど、どうやら楽しい時間は終了したようだ。

 部屋の空気を入れ替えようとしたら、ジロリと睨まれる。
 寒いからか?
 それならということで、窓を開ける前に、

「空気悪いから、窓、開けてもええ?」

 と尋ねて、ジャケットを手渡した。
 やっぱりジロリと睨まれた。
 私はノーと受け取ったけれど、もしかしたらイエスだったのか?

 一方、シャワーから出てきた彼は、断りもなく窓を全開にする。
 空気を入れ替えるチャンスだ!
 黙ってジャケットをはおる。

「寒いんか?」

「寒いで」

 私をジロリと睨み、窓を閉めた。
 優しさから窓を閉めてくれたのかもしれないけれど、素直に喜べない。
 
 仕事から帰宅すると、不機嫌丸出しで、ダンナがカウチに座っていた。

「睡眠不足!寝られへん!」

 彼は無職なので、寝不足で困ることはない。

「疲れてないから眠れへんのちゃうの~?散歩でもしてきたら?」

 ギロリと睨まれる。
 ・・・わかっていることを言われると、腹が立つ心理はわからないではない。

 翌日、帰宅すると、再び、不機嫌なダンナがカウチに座っていた。
 寝不足か???と思ったけれど、この日は違った。

「フルーツフライが攻撃してくる!」

 彼の手には鍋つかみが握られていた。
 フルーツフライを鍋つかみで叩き落としていたようだ。

「鍋つかみは料理に使うから、別のもん使ってよ」

 ダンナの鋭い視線が突き刺さる。
 私にとっては”たかがフルーツフライ”だけど、彼にとっては”たかが鍋つかみ”なのだろう。

 まぁ、こんな風に、ダンナが明るい気持ちでいられる時間は極端に短い。
 そして彼のリアクションは、私の予期できるものではない。
 シカゴ時代と比べると、明るくなったとはいえ、一緒にいる時間も長くなったので、あまりに不機嫌だと、こちらも腹が立ち、文句のひとつも言いたくなる。

「お前に怒ってるわけちゃう!俺ら黒人は人生に怒ってるんや!」

 うーーーん・・・そうなんだけど、やっぱり腹が立つ。

「でも、にらまれたら、こっちも気悪いやん!」
 
「黒人じゃないお前に、俺らの人生は理解できへん!」

「理解はできへんけど、一生懸命理解しようとしてるやん!」

「ふぁっく一生懸命!!!」

 ・・・そういうフレーズもありなんだ。

 悔しいけれど、彼ら黒人の人生は、私のそれとはあまりにも違い過ぎて、ホントにわからない。
 内容は理解できても、その感覚が、ストンと自分の中に入ってこない。
 彼の言うとおり、黒人じゃない私が、黒人の彼を理解することは、他の誰を理解するより難しい。

 そうはいっても、やはり理解したい。
 彼の怒りや悲しみを、自分のことのように理解できたら、彼に腹を立てることもなくなるはずだ。
 この頃の私は、いつも思っていた。

誰か彼の頭の中を解説してくれ~!

 最初に救ってくれたのは、エディだ。 
 エディは、ジョギングしている私をナンパした、でっかい黒人のおじさんだ。
 アラバマ州出身の彼、エディは、シアトルで高校の先生をしていると言った。
 この人なら私の疑問を解決してくれるかもしれない!!

「黒人の彼を理解するために読むべき本ってある?」

「リチャード・ライトのブラック・ボーイ」

 エディは即答した。
 さらに、

「リチャード・ライトは”ネイティブ・サン(Native Son)”を先に書いてるけど、ブラック・ボーイから先に読まなあかん。
 ブラック・ボーイ、それからネイティブ・サンや」

 翌日、ジョギングをしている私の前に、エディは再び現れた。
 そして、彼の「ブラック・ボーイ」を、私にプレゼントしてくれた。

 この物語は、1908年生まれの著者の、幼少期から大人になるまでの自伝に近ものとされている。
 南部で、黒人として生まれたリチャードが、必死でお金を貯め、北部のシカゴにたどりつくまでのストーリーだ。
 激しい人種差別と貧困、家族からの虐め、そのどうしようもなく暗い環境に葛藤しながらも、彼は文学に魅了されていく。
 自分が納得できないことは絶対に受け入れない頑固さと、ある種潔癖で、まっすぐな心を持つ彼が、周囲から攻撃され、心を閉ざし、誰も信用せず、強靭な意志で自分の人生を生き抜いていく。
 彼の言葉で、彼の思いを書き綴っているこの小説を読んでいると、心が真っ暗になる。
 同時に、リチャードとダンナに共通するものも感じた。
 ひたすら空腹に耐える著者に対し、ダンナは忍び込んだブドウ園で、ブドウをたらふく食べたり、ポテトチップスのマスターケースを工場から盗み、

「もうイヤや~!」

 と言いながら、チップスを食べ続ける「陽」の部分がある。 
 けれども、彼の意思の強さ、潔癖さは著者のそれと近い。
 時代も場所も違うけれど、理不尽な差別に憤り、誰も信用せず、常に警戒して生き続けるリチャードの言葉は、ダンナの、エディの、多くの黒人の叫びのように感じた。
 
 この本を通して、彼の怒りが、ほんの少し理解できた気がした。
 そして、不機嫌のお相手をする私よりも、不機嫌を抑えきれない彼の方がつらいことにも気付いた。
 イライラしている時、心から心配してくれる相手に対し、つらく当たってしまったことは、私にもある。
 その人なら、自分を見捨てないという安心感があるからかな?
 相手も傷つくけれど、傷つけた自分にがっかりして、自分自身も傷ついた。
 誰も大切な人を傷つけたいわけじゃない。

「彼は、怒りをコントロールできるようにならないといけない」

 という人もいる。
 以前の私なら、そう思っていた。
 もちろん、些細なことでキレる人に対して、このフレーズは正しい。
 けれども、リチャード・ライトやダンナを、これに当てはめるのは違うように思う。
 実際、黒人の彼らの方が、白人や、日本人の私たちより、感情をコントロールする力を持っていると思う。
 パブリックで、警察官の前で感情的になったら、命の危険にさらされる。
 彼らは、感情的になっても殺されない私たちより、感情をコントロールして生きてきた。
 けれども、そんな人種差別に対する怒りは、彼らの体の中でグツグツと音を立てて煮えたぎっている。

 そうなのだ!
 私に暴力を振るうとなると話は違うけれど、自分の家で、怒りと戦って、不機嫌になる彼を責めている場合じゃない!
 彼の不機嫌を受け入れ、穏やかな気持ちで見守らなきゃいけないはずだ!
 
 とはいえ、安全な日本で、両親の元で、それほど不自由することなく育った末っ子の私は、ついつい文句を言ってしまう。

「言ったら後悔するぞ!口に出すな!耐えろーーー!!!」

 思っているのに、ポロっと口から出てしまう。
 大きな怒りと戦っているダンナの方が、間違いなく偉い。

*「ブラック・ボーイ」の日本語版は「ブラック・ボーイ~ある幼少期の記録(上・下巻)」というタイトルで、野崎孝氏の翻訳で出ています。
 興味のある方は、是非!
 エディが自信を持って勧めてくれた一冊です😊
 「ネイティヴ・サン アメリカの息子」は上岡伸雄氏の翻訳です。
 これはフィクションで、エディが言ったとおり、「ブラック・ボーイ」を先に読まなければ、このストーリーの本質は理解できない。
 ただの頭の悪い黒人青年が犯した、凶悪犯罪のストーリーで終わってしまうのだ。

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