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【シリーズ第17回:黒人アーティストの人生】🎵ソウル(魂)を感じたい🎵
このシリーズでは、私の大好きな黒人アーティスト、特に、1970年代、80年代に活躍したR&B、SOULミュージシャンを紹介しています。
・・・さて、誰でしょう🎵
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ヒント
R&B、ソウルシンガーです。
作詞作曲、アレンジ、プロデュースまで、すべて自分でやります。
ギター、キーボード、ピアノ、パーカッションも演奏します。
ソプラノヴォイスで知られています。
Rick Jamesと仲良しです。
黒人に最もリスペクトされた、白人シンガーです。
ニックネイムは”Ivory Queen of Soul”。
生い立ち
1956年3月5日、カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。
2歳で、すでにBanana Boat Songを見事に歌っていた。
8歳になると両親が、彼女をオーディションに連れて行った。
歌ではなく、The Beverly Hillvillies(ザ・ビバリー・ヒルヴィリーズ)という、アメリカで大人気のコメディドラマのパートを獲得した。
その一方で、ギター、ベース、コンガを習い、弟、いとこたちとバンドを結成した。
ティーンエイジャーになると、家族はカリフォルニア州のヴェニスへ引っ越しする。
彼女の家から3ブロック先は、黒人居住地だった。
メキシコ人、アフリカンアメリカン、ダークスキンのメルティングポットで、そこには様々な文化があった。
ヴェニスビーチは、自分が自分らしくいられる場所だ。
ローラースケートをするグループ、楽器を演奏する人、ポエムを読む人、誰もがナチュラルな自分の姿を自由に表現した。
ブラックシープ(黒い羊:家庭内で浮いている、家族の要望や期待から逸脱している)だった彼女は、そこに居場所を見つけた。
衝撃
高校1年生の彼女は、イヤフォンでラジオを聞きながら、教室に向っていた。
Al Green(アル・グリーン)の"Tired of Being Alone"が聞こえてきた。
なんだこれはーーー!!!!!
衝撃だった。
彼女がこれまで聞いたことのない音楽だ。
彼女は壁にもたれて、目をつぶり、曲が終わるまで聞き続けた。
始業のベルの音で我に返ると、廊下を歩いていた他の生徒は皆着席し、周囲には誰もいなくなっていた。
しばらくして、Soul Trainに出演しているAl Greenを観た。
真っ赤なホットパンツをはいた彼は、ユニークで、他の人とは違った。
「・・・そっか・・・私もユニークでいい。
みんな、ユニークでいい。
世の中には、多くの人が暮らし、様々な人種が存在する。
性格もそれぞれだ。
パフォーマンスに限らず、ダンス、ヘアスタイル、皆、違ってて構わないし、違っていることが素晴らしい!」
ユニークなことが素晴らしいと思えるようになった、きっかけの映像(⇩)
デビュー
高校を卒業すると、短大に通いながら、様々なレコード会社のオーディションを受けた。
彼女と契約したのは・・・
MotownのBerry Gordy(ベリー・ゴーディ)だった!
1979年、彼女のファーストアルバムがリリースされた。
プロデューサーは、あのRick James(リック・ジェイムス)だ!!!
その人物とは・・・
Teena Marie(ティーナ・マリー)でーす🎵
Motownでレコーディングアーティストとしてのキャリアを確立していたRick Jamesは、次に、Diana Ross(ダイアナ・ロス)のプロデュースを予定していた。
けれども、Teenaの声を聞いた瞬間、気が変わった。
彼はプロデューサーとして、このアルバムに参加した。
しかもボランティアで。
出来上がった曲を聞いて、Berry Gordyが言った。
「めちゃめちゃ黒人やな・・・
アルバムは、写真なしでいこう!」
ファーストアルバム”Wild and Peaceful”(⇩)。
Teena Marieは、黒人だと誰もが思った。
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アルバムの1番目に収録された、Rick Jamesとのデュオ、”I'm a Sucker for Your Love” は、R&Bのシングルチャートで8位を記録した!
そして・・・
憧れのSoul Trainに出演することになったーーー👏🎊👏🎊👏🎊
Soul Train
1971年からスタートしたSoul Trainは、黒人視聴者のために、黒人がプロデュースする、初めてのテレビ番組だ。
黒人がパフォーマンスできる番組がほとんどない時代だ。
毎週土曜日に放送されるSoul Trainは、彼らの数少ない楽しみ、喜びだった。
Soul Trainは、黒人の誇りだ。
Teenaにとっては、憧れのSmokey Robinson(スモーキー・ロビンソン)、Al Green、The Whispers(ザ・ウィスパーズ)が出演した番組だ。
しかも・・・
Soul Train初の白人アーティストだーーー!!!
プロデューサーで、ホストを務めるDon Cornelius(ドン・コーネリアス)が、小さなTeenaに、とっても優しく話しかけている。
彼女の夢のひとつが叶った瞬間だった。
セカンドアルバム
セカンドアルバムのタイトルは、”Lady T”だ。
Lady Tは、Motownの人たちが使う、彼女のニックネームだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1678073458121-wiXIXTfoML.png)
このアルバムが出たときは、ちょっとした騒ぎだった。
「Teena Marieのアルバムの写真に、大変なミステイクがある!」
と言った人がいたほどだ。
通常、黒人、特に黒人女性が、白人女性を容易に受け入れることはない。
しかも、R&B、ソウルは、彼ら黒人の音楽だ!
けれども、Teena Marieは違った。
彼らは皆、Teenaの音楽が好きだった。
Teenaの音楽にはソウルがあった。
Teenaは、彼ら黒人に、肌の色の違いを感じさせなかった。
彼女は、黒人に受け入れられた。
けれども、彼女が演奏できる、白人のヴェニュー(会場)は、ほとんどなかった。
そんな彼女をサポートしたのも、黒人ファンだ。
彼女のコンサートへ行くと、ファンの80%は黒人だ。
Teena Marieは最も黒人っぽい、白人アーティストだった。
リスペクト
彼女をリスペクトしたのはファンだけではない。
アーティストも同様だった。
1980年、3枚目のアルバム、”Irons in the Fire”をリリースした。
作詞作曲、アレンジ、プロデュースのほとんどを、彼女自身が行った。
アルバム製作までこなせる女性シンガーなど、ほとんどいなかった時代だ。
しかも、Teenaの曲にはソウルがある。
このアルバムのヒット曲のひとつが、”I Need Your Lovin'”だ。
パワー全開!!!
ステージの上の彼女は、誰よりもエネルギッシュだ。
そんな彼女を、彼女の音楽を愛する観客の様子が伝わってくる。
4枚目のアルバム(1981年)、”It Must Be Magic”は、ゴールドレコードを記録した。
”Square Biz”はR&Bシングルチャートで、3位を記録!
フホォーーーーーーー!!!
ヒューゥーーーーーー!!!
曲が始まる前の、この叫びは、彼女の音楽のプレゼンテーションだ。
「このプレゼンテーションは、R&Bの世界で当たり前のように使われているけれど、彼女が現代のアーティストに与えた影響のひとつだ。
私たちは気付かずに演奏しているけれど、歌、アレンジ、楽器、プロデュース、彼女がR&Bアーティストに与えた影響は大きい」
と、Lalah Hathaway(レイラ・ハザウェイ)が話していた。
そんなTeenaの才能、ソウル、クリエイティヴィティを、多くの黒人アーティストはリスペクトした。
これとは別に、彼女が他のアーティストを助ける結果となった事件があった。
1982年、TeenaはMotownと法廷闘争を行った。
「新曲をリリースせずに、アーティストを拘束することは、契約に違反す
る!」
という彼女の主張を、裁判所は認めた。
彼女自身のために行った闘争は、Luther Vandross(ルーサー・ヴァンドロス)をはじめ、契約を理由に縛られていた、多くのアーティストを救う結果となった。
Smokey Robinson(スモーキー・ロビンソン)
作曲において、Teenaに影響を与えたアーティストのひとりがSmokey Robinsonだった。
彼女はSmokeyが作る、美しいラヴソング、そして彼のヴォーカルグループ、The Miracles(ザ・ミラクルズ)が大好きだった。
2009年、彼女が大好きなSmokeyのために、"Ooh Baby Baby"を歌った。
いぇ~い🙌
この映像は好きすぎて、何度も観ている。
Smokeyによると、”Teenaは、白人の体をした黒人女性”らしい。
Rick James
Teena Marieと言えば、Rick Jamesだ。
親友として3年半が過ぎたある日、彼が"Love Guns"を歌っている姿を見て、
「・・・愛してる」
と彼女は思った。
そして、二人は恋人同士になった。
けれども、Rick Jamesの派手派手女性関係は変わらず、すぐに終了した。
とはいえ、TeenaとRick Jamesの間には、二人だけにしかないエネルギー、ケミストリーがあった。
二人はベストフレンドであり、ブラザー&シスター、音楽におけるソウルメイトだ。
この二人のケミストリーを感じられる曲といえば!
”Fire and Desire”だーーー!!!
LooooooooーーーーーーーーーーーーーーーーーVe!!!!!!
会場にいる全ての人が大喜び♡
ついでに私も大喜び♡
このショウ(BETアワード2004年)は、彼ら二人が一緒に歌った、最後のステージになった。
このショウから2か月も経たず、Rick Jamesは他界した。
ソウルメイトの喪失は、彼女を打ちのめし、しばらくステージに立つことができなかった。
また、この前か後かはわからないけれど、同じ年(2004)、Teenaも大きな事故にあっている。
ホテルで眠っている時に、壁にかかっていた大きな絵が、彼女の頭の上に落ちてきた。
激しい脳震盪を起こした彼女は、その後も、後遺症に苦しめられた。
2010年12月26日、彼女は、Rick Jamesが待つ場所へと旅立った。
「ママは自分の死を知ってた思う」
と娘で、シンガーのAlia Rose(アリア・ローズ)が話していた。
原因は自然死だけれど、1か月前から、全身が硬直する発作に苦しめられていたそうだ。
痛みから解放されたTeenaは、ソウルブラザーRick Jamesと共に、あちらの観客を前に、ガンガン歌いまくっているに違いない。
最後に・・・
Teena Marieのショウを観たのは、ニューオーリンズのエッセンス・ミュージック・フェスティヴァルだった。
Teenaのパワフルなステージは素晴らしかった。
けれどもそれ以上に、50 万人の黒人観客が、彼女と共に歌い、踊る姿に感動した。
その会場にいるすべての人が、Teena Marieの音楽を愛していた。
白人のR&B、ソウルミュージシャンはたくさんいる。
素晴らしいアーティストもいっぱいいる。
それでもTeena Marieほど、ソウルフルで、黒人に愛された白人アーティストは、まだいない。
Rest in peace ♡♡ Rick James & Teena Marie ♡♡
最後に私の好きな曲”Ooo La La La”でお終いにしよう。
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![るるゆみこ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153810212/profile_4eff5bb8b1fa02c727c7e18e27bfd585.png?width=600&crop=1:1,smart)