見出し画像

アメリカで暮らす、未来の若者のためにできること

 私はアメリカのシアトルで暮らしている。シアトルといえば、シアトルマリナーズのイチロー選手だ。日本人野手初のメジャーリーガー、生涯打率3割1分1厘の、あのイチロー様だ。現在のタイトルは、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターだ。彼は、偉大な野球選手のひとりとして、アメリカで認められた。
「イチローのおかげで、シアトルではビジネスがやりやすい」
 彼は野球を通して、日本人のイメージを向上させた。
 イチローほどの影響力を持つ人は稀だ。けれども、現在、日本人がシアトルで、アメリカで受け入れられているのは、先輩移民、ひとりひとりの努力があったからだ。
 第二次世界大戦中、戦後のアメリカ人の日本人に対する感情は、今とは随分違ったはずだ。一世、二世の方々が、誠実に、礼儀正しく、この国で暮らしていなければ、今のような状況はない。

 私の職場は、老人ホームだ。住民のパットは、相手を怒らせない、絶妙の皮肉を言う白人のおばあさんだ。
 ある日、彼女が「U.S. Army」とプリントされたキーホルダーを持っていることに気付いた。
「これ、パットの?」
「ダンナの。彼は、第二次世界大戦でも戦ったのよ」
「・・・第二次世界大戦?!」
「そうやろ。だから黙っててん。あんたのせいじゃないからね」
 終戦から、たった79年しか経っていないことに気付いた。パットのご主人が戦死されたかどうかはわからない。けれども、ご主人が戦争で戦ったことは、彼女の心に残っている。パットは私を受け入れてくれたけれど、それができない人もいるだろう。また、私が敬意を持って接していなければ、彼女の日本人に対する感情は、違ったはずだ。
 私がこの国で、毎日、楽しく仕事ができるのも、躊躇することなく外出できるのも、戦後の厳しい世の中を耐え、真面目にがんばってこられた日本人がいたからだ。
 彼らへの感謝を忘れず、彼らの努力を無駄にせず、この国で真面目に生きていこう。イチローや大谷選手のように、全米の人々の心をつかみ、ポジティヴな印象を与えることはできないけれど、日々の生活で接する人々に、
「私が出会った日本人はええ人やったよ」
 こう思ってもらうことはできるだろう。
 これから日本を飛び出して、アメリカで暮らす若者が、今以上に多くの人に受け入れられて、幅広い活躍ができることを願い、そんな未来を夢見て、日本人としての誇りを忘れず、真面目に明るく暮らしたい。


最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!