【シリーズ第75回:36歳でアメリカへ移住した女の話】
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
前回の話はこちら↓
「解雇されてん!」
同居人が晴れ晴れとした顔で言った。
最初はご機嫌で仕事に行っていた彼が、ある時から、口数少なく出かけるようになった。
腰痛を患っていたらしい。
そういえば、夜中に、腰を揉んで欲しいと起こされたことがあった。
あの頃から、腰が痛かったんだ!
彼は大きくて、黒くて、とても強そうに見えるので、腰痛を患っているなんて、思いもしなかった。
その日から、彼は仕事を休むことが増え、そのたびに病院で検査をしてもらった。
そして何度目かの検査で、ついに「椎間板ヘルニア」と診断された。
個人がドネーションする品物を回収する、ピックアップ・ドライバーの仕事はとてもハードだ。
品物は、衣料品、書籍、家具、電化製品など多岐にわたり、ひとりで運ぶべき重さではない物もある。
実際、職場のほとんどの人が、腰痛を抱えている。
皆、職業病と割り切り、誤魔化しながら仕事を続けているのだろう。
けれども彼は違う。
「この仕事のせいで、俺の大切な肉体を痛めてしまった!くっそーーー!」
すでに不幸でお腹がいっぱいなので、これ以上の不幸は入らない。
腰痛を発症するまで、実に真面目に働いていたので、余計に悔しいはずだ。
彼は、1か月間の療養をした後、職場復帰をする・・・はずだったけれど、直前に社長から解雇が言い渡された。
おそらく、休業補償や治療費、慰謝料などを請求される可能性を考えて、早々に解雇したのだろう。
解雇になったと聞いて、実はホッとした。
”この仕事のせいで腰を痛めた”と思いながら働き続けても、いいことはない。
腰痛に気付いてあげなかったことも申し訳なく思っていた。
その理由が、黒く、大きく、強そう、だから尚更だ。
ここは謝罪、反省の意を込めて、気持ちよく休ませてあげたい。
そして、やはり彼には演奏をしてもらいたい。
彼がピックアップの仕事をしていることに、ずっと違和感があった。
極端な例えだけれど、マイケル・ジャクソンが、マクドナルドで働いているような違和感だ。
私は彼のファンなのだ!
これまで積み上げてきたキャリアを捨てちゃいけない。
音楽は世界とつながるツールだ。
言語が異なってもコラボレートできるのが音楽だ。
歌詞はわかってもらえなくても、音やリズムで感じてもらうこともできる。
このツールを使い、人々をハッピーにできる人は限られている。
与えられた才能を使わなければバチが当たる。
絶対に演奏してもらいたい!
そしてもうひとつ、音楽で得られる同じリスペクトを、他の仕事で得ることはできない。
音楽以外の仕事では、息子ほどの年齢の若者から偉そうに言われたり、時には黒人という理由で見下されることもあるだろう。
チョイスがあるなら、そういう目には遭わない方がいい。
収入はなくなるけれど、この半年間、彼は働いた給料の全額を私に渡してくれたので、引越しの際に私が使ったお金の半分は、ほとんど返してもらえた。
これまでの分はチャラだ。
解雇にはなったけれど、進むべき道に戻った気がしてホッとした次第だ。
彼の晴れやかな顔を見れば、彼自身もハッピーなのは一目瞭然だ。
腰を痛めたことはマイナスだけれど、真面目に働いていた彼は、失業手当はもちろん、傷害補償も認められた。
人生初、お金の心配をせずに、ゆっくり休養ができる。
さらに、次の就職に備えて、GEDのクラスも無料で受講できることになった。
GEDは高校卒業と同じ、またはそれ以上の学力があることを証明してくれるテストだ。
この時はじめて、彼が高校を卒業していないことを知った。
そもそも、彼が学校に行っていたかどうかなんて、考えたこともなかった。
黒人コミュニティで、中卒、高校中退は珍しいことではない。
シングルマザーの家庭がほとんどで、パパは不在、ママは仕事に行って留守だ。
”学校へ行け”と言ってくれるはずの親は、そこにいない。
外に出れば、ギャングの勧誘が待っている。
父親像を持たない、貧しく、空腹を抱えた子供たちが、キラキラのジュエリーに身を包んだ、たくましい大人の男性(ギャング)に憧れるのは当然だ。
黒人コミュニティで、学校へ行き続けること、ギャングにならずにいることは、想像以上に難しい。
そんな子供たちの多くが、ティーンエイジャーで親になる。
結婚しない場合、女の子は自分のママの家で子供を育てる。
結婚しても、パートナーがギャングであれば、どこかの時点でジェイルに入るか、殺される。
こうして、次世代のシングルマザーが誕生する。
このループは延々と続くのだ。
彼の家もシングルマザーだ。
家計を支えるママに代わり、おばあちゃんが彼を育ててくれた。
けれども彼は13歳になると家出をして、ストリートで暮らし始める。
家には意地悪なおばさんがいたからだ。
警察官に補導されては連れ戻され、連れ戻されては家出をした。
警察官もギヴアップして、彼にチョイスを与えた。
家に戻るか、孤児院か・・・彼は孤児院を選んだ。
そんな環境で育った彼が、ギャングにも、犯罪者にもならず、アル中にもドラッグ中毒にもならず、殺されずに生きていることが素晴らしい。
高卒か大卒かで悩める私たち日本人はきっと幸せだ。
私が彼の環境で育ったら、大学を卒業するまで生きていない。
「俺、学校なんか久しぶりやー。学校にはあんまり行かなかったけど、成績は良かったでー」
「わかるわかる。そんな気がするわー」
彼にとっては、人生初の、平和で明るい学生生活なのかもしれない。
セカンドバッグ式のバインダーを進呈した。
学生気分もさらにアップだ。
子供の頃から、ひとりでがんばって生きてきた。
一度くらい、お金の心配をせずに、ゆっくりしたらいいと思う。
私のヴィザはどうなるんだろう?と思わないでもないけれど、そのうち考えなきゃいけなくなった時に考えよう。
2008年夏、彼のヴァケーションが始まった。
長い、長~いヴァケーションが。