【シリーズ第13回:36歳でアメリカへ移住した女の話】
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
前回の話はこちら↓
マジック・スリムを見るために、キングストン・マインズへ行った夜、私はひとりの黒人男性にひとめ惚れした。
そして今、彼は私の目の前にいる!!!
あ~ん、嬉しい♡
英語初心者とはいえ、自己紹介くらいはできる。
音楽が好きでシカゴに移住したこと。
日本にいる頃から、音楽を聞くために毎年アメリカを訪れていたこと。
シカゴに来たからには、ザ・シャイ・ライツを見たいことを伝えた。
すると・・・
「俺、そのバンドにおったで」
と彼が言った・・・
ザ・シャイ・ライツのメンバー!?!?!?!?!?!?!?
改めて、彼が立っている横を見ると、バーカウンターに、ギターケースが立てかけてあった。
そっか~、彼はミュージシャンだったんだ。
しかも、私のザ・シャイ・ライツで弾いていた!?!?!
このグループは、シカゴ発R&Bバンドで、1959年に結成された。
1970年代は、ラジオから彼らの曲が流れない日はなかったんじゃないかな?
”ハヴ・ユー・シーン・ハー”と、”オー・ガール”は、日本のラジオ、クラシックR&Bでもかかるので、耳にしたことがある人も多いと思う。
このスウィ~トな感じは、やはり、ザ・シャイ・ライツだけのサウンド。
ん~・・・いいな~♬
実はこの時代、フィラデルフィアやメンフィス以外の土地で成功したR&Bバンドは少ない。
1970年代、ザ・シャイ・ライツはシカゴで成功した数少ない、R&Bコーラスグループなのだ。
しかしザ・シャイ・ライツはただのコーラスグループではない!
ザ・シャイ・ライツは、前奏に語りを入れるようになった、最初のグループなのだ!
メンバーはおじいちゃんになっているし、現在も活動しているかどうかはわからない。
彼らのショウは見たいけれど、見れるかどうかもわからない、私にとっては幻になるかもしれないバンドだった。
しかーし!そのバンドにいた人が目の前にいる。
バンドはまだ見ていないけれど、生ザ・シャイ・ライツを知っている人、演奏していた人と、私は会話をしているのだ!
感動せずにはいられない~!!!
さらに会話は続く。
「シカゴに来てから好きなバンド見つけたん?」
「先週見たジミー・ジョンソン。すごいよかった」
「俺、そこでベース弾いとったで」
・・・・・・きゃ~~~~~~~・・・!!!!!!!
あなたは、あの時のベーシスト???
私が会いたかったベーシスト???
(ジミー・ジョンソンのことを書いた記事 ↓)
ひとめ惚れですでに惚れているけれど、これだけの偶然が重なったら、デロデロに惚れるしかない。
いや・・・これは偶然じゃない。
運命だ~~~!!!