【シリーズ第70回:36歳でアメリカへ移住した女の話】
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
前回の話はこちら↓
シアトルへ引越しする際、衣類やキッチン用品など、細々としたものは車に積めたけれど、家具は残してくるしかなかった。
シアトルのアパートに入居した日、ベッドを購入した同居人が、次に向かった先が電気屋だ。
テレビを買うつもりらしい。
「テレビより、椅子とかテーブルとか、私の車が先ちゃうのー?」
と思うけれど、同居人にとって、テレビは特別だ。
子供の頃、学校へ行くと、私には仲良しの友達がいた。
家に帰れば、両親と姉がいて、家族の団らんがあった。
温かい夕食を頂いた後、皆でテレビを観ながらおしゃべりをする。
風呂に入り、暖かい布団で眠り、朝になれば、母に起こされて朝食を頂き、姉や近所の友達と共に学校へ行く。
休みの日には、祖父母の家を訪ねることもあれば、海や山、デパートの屋上や遊園地に連れて行ってもらうこともあった。
ピアノ、習字やそろばんを習い、塾へも通った。
どこへ行っても、優しく、親切な人の方が多く、私を傷つけようとする人は、ほとんどいなかった。
傷つけられても、家に帰れば、守ってくれる家族がいた。
同居人が育った場所は、黒人の中流家庭が暮らすエリアだ。
そのエリアはハイウェイに囲まれ、一方通行の行き止まりなので、ギャングが侵入してくることはなく、平和だった。
近所の人も、大学へ進学するインテリジェンスな人が多く、互いに声をかけあった。
ところが、学校へ通い始めると、違うエリアの人たちと関わるようになる。
もっと貧しいエリアの人々がいた。
いじめっ子がいて、意地悪な先生もいた。
外の世界には、他人を傷つける人間がゴロゴロいる。
彼ら黒人は、人種差別により、あらゆる権利を奪われ続けている。
貧困と戦い、常に命の危険にさらされてきた。
黒人の多くは、人生に、そして理不尽な差別に怒っている。
家族にすら優しくできないほど心が荒んでいる人もいる。
彼が、悲しい気持ちで帰宅しても、彼の両親は不在で、そこには彼を虐めるおばさんとおじさんがいた。
テレビの世界に入っている時だけは、安全で、安心できた。
「子供の頃、番組が終わった瞬間、現実に引き戻されて、”あ~・・・俺はまだここにおったんや”って、がっかりしてたわ。
テレビを観ている間だけは、嫌なことを忘れられるねん」
・・・こんなことを言う人からテレビは奪えない。
彼と同じ状況に置かれたことがないので、理解することは難しい。
けれども、テレビがなくても生きていける私とは違い、テレビがなければ、彼は耐えがたい悲しみや怒りに包まれるのだろう。
テレビは我々のリヴィングルームに”どーーーん”、ベッドはベッドルームに”どーーーん”と置かれた。
周囲には、彼のギターやアンプがあるだけだ。
個人的には、これくらいスッキリした部屋が好きだけれど、椅子やテーブルは必要だ。
素敵なことに、同居人の仕事は、ドネーション(寄付)される品物のピックアップだ。
ドライヴァーの彼は、ピックアップした品物を、セカンドハンドストア(リサイクルショップ)に下ろす前に、頂ける。
椅子、食器、CDプレイヤーなど、必要な品物が次々とそろった。
我々の実力では購入できない、新品のサラウンドシステムも手に入った。
ある程度、生活必需品がそろうと、持ち運びできる小型テレビ、自転車、バスケットボール、バトミントンセット、ピンポンやテニスのラケットといった、娯楽品を頂いてくるようになった。
なかでも、自転車は盛り上がった。
危険なシカゴでは、場所が限られていたけれど、シアトルなら、東西南北、どこまでも自転車で走ることができる。
うまい具合にお金もないし、他にすることもない。
休みのたびに、自転車で走り回った。
これ以上、必要なものはないけれど、彼を魅了する品物はまだまだある。
中でも彼のお気に入りは、録音機能付きのオウムのぬいぐるみだ。
凡人の私は、
「こんにちは」
程度しか浮かばないけれど、さすがミュージシャン、彼は歌を録音した。
オリジナルのレベルが高いので、オウム声になっても、私よりはるかに上手い。
シンバルを叩くゴリラのぬいぐるみも仲間入りした。
職業柄、鳴り物は無視できないらしい。
鳴り物以上に、彼の心をつかむ物が、フラッシュライト(懐中電灯)だ。
「こんなによーさんいらんのちゃう?」
その数はどんどん増え、どれが一番明るいか、楽しそうに比べている。
その楽しさは、私にはわからないけれど、数があって邪魔になるものではない。
けれども、信号機は違う!!
信号機の形をしたライトだけれど、ジャイアントサイズの靴箱くらいの大きさだ。
「こんなんいらんーーーっ!!!」
・・・しかし、いるから持って帰って来たのだろう。
夜になると、彼は部屋の灯りを消し、信号機を点灯する。
暗くて本は読めないし、数秒ごとに色が変わり落ち着かない。
「ちょっとの間だけでも、消してくれへん?」
とお願いしようかと思った時だ。
「パパ側のおばあちゃんの家には、真っ白のクリスマスツリーがあってな、ツリーの下には、グルグル回転するライトが置いてあってん。
ライトの各面には、違う色のセロハンが張ってあって、ツリーが、赤、黄、緑に変わって、すっごい綺麗やねん!
俺、そのツリーが好きでなぁ。
おばあちゃんの家には、ほとんど行かんかったけど、クリスマスのときだけは行って、そのツリーの下で、色が変わるのを見ててん」
「・・・へー・・・」
彼にとっては、数少ない素敵な思い出に違いない。
「ま、ええか・・・」
彼のコレクションは増え続ける。
あぁ・・・嬉しそうな表情に負ける自分が残念だ。