【第10話】36歳でアメリカへ移住した女の話 Part.2
チコからのサプライズ
2010年12月、ダンナのパパが亡くなった。
亡くなる一年前、ケンおじさんから、パパが前立腺癌だという連絡が入った。
私は、パパがまだ生きていたことすら知らなかった。
ダンナは、誰からも連絡がないので、まだ生きていると思っていたようだ。
彼は最初の息子を亡くした後、シカゴのサウスサイドを去った。
その日以降、家族を含む、ほとんどの人が彼の行方を知らなかった。
無職になったダンナが、私のコンピューターを使って、FBをはじめたことはプラスだった。
いとこや昔の友人とつながり始めていたので、おじさんも彼の連絡先を見つけることができたのだろう。
知らせを聞いた彼は、パパにはじめて電話をした。
パパは、彼が3歳のときに、ワンブロック先の女のところに移り住んだ。
黒人コミュニティの大きな問題は、父親が家にいないことだ。
社会は黒人男性に仕事を与えない。
1960年代、黒人男性には家を貸さなかった時期もある。
そうなると、男性は女性の借りた家で、女性の収入で暮らさなければならない。
男性のプライドを根こそぎ奪いとることが目的だ。
仕事も家事も子育てもする女性は、次第に夫を馬鹿にするようになる。
そんな状態でも、家族に危険が迫れば、男たちは命をかけて戦わなければならない。
仕事を得られる男性も、もちろんいる。
けれども、ほとんどのオーナーが白人だ。
口の効き方ひとつ間違えれば暴力をふるわれる。
クビにされても文句ひとつ言えない。
ひたすら、
「Yes, Sir・・・」
「No, Sir・・・」
だけで1日を過ごす。
彼らのプライドはズタボロだ。
とはいえ、仕事の行き帰りも気は抜けない。
ポリスに止められたらどんな目に合うかわからない。
黒人男性は、常に過剰なプレッシャーの中にいる。
女性との関係が上手くいかなければ、他の女性に逃げたり、ママの家に戻る男性がいても不思議はない。
一生ママの家で人生を終える黒人男性も少なくない。
ダンナの友達にもいる。
黒人家庭にパパが不在の理由だ。
ダンナは、パパが近くにいなかった、その人生には怒っている。
けれども、パパに対して怒ったことは一度もない。
彼には、そのプレッシャーが理解できるからだ。
パパが不在の理由は他にもある。
ギャングになれば、いつかは殺されるか、ジェイルだ。
ギャングにならなくても、黒人はいつだって警察官のターゲットだ。
軽罪の、時には無罪の黒人男性がジェイルで無期懲役になることもある。
自分の価値を見失い、ドラッグやアルコール中毒で、子供を愛することができない人も中にはいる。
パパが家庭にいない男の子の多くは、強い父親のフィギュアを求める。
ストリートに出た彼らが目にする、強く、お金を持った男といえば、ギャングだ。
黒人コミュニティで、男の子がギャングにならずに育つことが難しい理由だ。
ギャングの先は死かジェイル。
このサイクルは永遠に続く。
現代、黒人を受け入れる白人が増え、その環境は変わりつつある。
けれども、貧しい黒人コミュニティにおける父親不在は今も変わらない。
子供が産まれる前に、父親を放棄する人もいる。
詩人のマヤ・アンジェロウは、17歳でシングル・マザーになった。
16歳のとき、彼女はふいにセックスを経験したくなり、いつも彼女に色目を使っていた近所の男を誘ってセックスをした。
なんだ、こんなもんかと思っていたら、お腹が大きくなってきた。
相手の男に話したら、
「父親になる気はない」
と予想通りの返事。
どうしたもんかな・・・?と思ってるうちにお腹はどんどん大きくなる。
ある日、ママが娘のお腹が突き出ていることに気付いた。
「その男を愛してるの?」
「ノー」
「じゃ、私たちで育てましょう」
親は不在、退屈で、エネルギーが有り余った子供が、避妊など考えることなくセックスをするのは避けられない(と思う)。
おそらく、こんな形でシングルマザーになった黒人女性も多いだろう。
彼のパパは、3歳の彼とママを残して出て行った。
ママとおばあちゃんは優しい、素敵な人だったけれど、その他のメンバーはなかなかの意地悪だ。
ロニーおじさんは、ギャングも恐れるギャングだ。
パパが出て行きたい理由は、色々あったに違いない。
パパはスラリと背が高く、いつも素敵なスーツを着て、ステッキをつきながら気取って歩く。
近所で暮らすパパと、道ですれ違うこともあった。
知らん顔をして歩き続けるときもあれば、
「ヘイ、メン・・・」
と声をかけてくれることもある。
3歳のとき、パパが真っ白なギターとアンプをプレゼントしてくれた。
最初で最後のプレゼント、彼の宝物はすぐに盗まれた。
犯人は、おそらくロニーだ。
ドラッグを買うためか、単純に彼への嫌がらせか、白いギターとアンプは、ある日突然姿を消した。
もうひとつの思い出は、サンクスギビングに、彼と友達を、おばあちゃんの家へ連れて行き、ベロベロに酔うまで酒を飲ませてくれたことだ。
パパに電話をした彼は、生まれてはじめて、
「アイ・ラヴ・ユー」
と言った。
そして、生まれてはじめて、
「アイ・ラヴ・ユー」
と言われた。
彼の嬉しそうな顔は忘れられない。
けれども、その後、パパは彼の電話に出てくれなくなった。
愛を信じられるような人生ではなかったのかもしれない。
彼がシカゴへ向かったのは、お葬式当日の早朝だ。
仕事もないのだから1週間くらい滞在するのかと思ったら、あっという間に帰って来た。
空港へ迎えに行くと、
「長男やから何か話せって言われて、白いギターの話したら、涙が出てきてん。自分でもびっくりしたわ」
パパのことを、晴れ晴れと話す彼を見たのははじめてだった。
さて、今回のシカゴ訪問で、彼はある場所に立ち寄った。
シカゴ訪問から1週間後、その内緒の場所について教えてくれた。
「B.L.U.E.Sで働いてる子と、チコの間に子供がおってん。
でも、チコの子供じゃなかったらしいねん。
チコじゃなかったら、俺やって言われて、子供と会ってきてん」
「・・・へー・・・その子供のこと知ってるで。チコにそっくりって聞いたけど?」
「そうやろー!そうやねんなぁ・・・。
みんなチコの子供やと信じててん。
でも、チコが死んだときに、チコの両親にDNA検査してもらったら、ちゃうかってんて。
それで俺がDNA検査せなあかんねん。
5歳の女の子で、半日一緒に遊んで、帰り際にチュッてされてんなぁ・・・」
どうやら、5歳の女の子のキスにノックアウトされたようだ。
私はその女性とも、子供とも会ったことがない。
けれども、私の友人が、子供を抱いたその女性と、バスで会話を交わしている。
「あれ?子供できたん?」
「うん。失敗しちゃった~」
白人と黒人のミックスのベイビーは、チコにそっくりだったそうだ。
友人からその話を聞き、チコの顔をしたベイビーをイメージしたことを思い出した。
チコが亡くなった話
⇩ ⇩ ⇩
生まれてきている子供のことを、どうこう言っても仕方がない。
結婚はもちろん、私と出会う少し前の話だ。
ばい菌恐怖症の彼が避妊をしなかったとも思えない。
検査の結果を待つだけだ。
1か月後、
「DNA検査どないやったん?」
ダンナはテレビから目を離さず、聞こえないフリをする。
そのうちわかることなので、そのままにした。
数週間後、
「DNA検査どないやった?」
同じく聞こえないフリをする。
陽性だったに違いない。
翌日、出かけようとする彼の前に立ちはだかった。
「DNA検査、結果出たんやろ?」
「・・・うん。99%」
このことを、バスで子供に会った友人に報告した。
「あれ、チコの子供ちゃうかってん。ダンナの子供やってん」
「ウェルカム・トゥ・ブルース・ワールド!て感じね!」
底抜けに明るいコメントだ。
それにしても子供も5歳からパパが変わって大変だ。
チコも天国で、
「え~!まじで?俺の子やったんちゃうの?」
と、びっくりしているに違いない。
ママもびっくりしているかな?
この件についても、友人が素晴らしい回答をくれた。
「チコのほうがお金持ちだから、チコの子供にしたんじゃなーい?」
パパが亡くなり、娘が増えた。
父親がわからなくても、自分のしたことを受け入れて、出産したママをリスペクトしたい。
シカゴにいる娘が、ママに愛されて、危険な目に遭わず、明るく育つことを願っている。
そのうちいつか、ダンナの親戚、いとこ、ステップの子供たち、私の姉や甥や姪、いとこたちが全員集合したら楽しいだろうなぁ。
私の夢がひとつ増えました🎵