【シリーズ第6回:黒人アーティストの人生】🎵ソウル(魂)を感じたい🎵
このシリーズでは、私の大好きな黒人アーティスト、特に、1970年代、80年代に活躍したR&B、SOULミュージシャンを紹介しています。
・・・さて、誰でしょう🎵
ヒント
Soul、R&Bのシンガーソングライターです。
プロデュースもします。
デビューは1970年代半ばに大ブレイクしたR&Bバンドです。
Motown(モータウン)のトップ・ソングライターでした。
1982年にソロデビューしました。
世界的に知名度の高いアーティストのひとりです。
オリンピックの閉会式で歌ったこともあります。
生い立ち
1949年6月20日、アラバマ州のタスキーギーで誕生した。
激しい人種差別、KKK(クー・クラックス・クラン)の活動が激しい時代だったけれど、彼が生まれ育った場所は、タスキーギー大学内のコミュニティだった。
タスキーギー大学は、歴史的黒人大学で、その土地は農学、軍事学及び工学を教える高等教育機関を設置するために、連邦政府が州政府に与えた国有地だ。
キャンパス内には、黒人の医者、弁護士、パイロット、教師も当たり前のように存在した。
そこは人種差別の激しいアラバマ州にぽっかりと浮かんだ、平和な黒人だけのコミュニティだった。
陸軍のシステム開発技術者だったパパと、高校の校長先生のママは、カラーブラインド(肌の色で人を判断しない)であることを教えた。
おばあちゃんはクラシックピアノの先生だ。
ラジオからは、カントリーミュージックが流れていた。
デビュー
タスキーギー大学の経済学部に入学した彼は、ギターリストのThomas Mcclary(トーマス・マクラリー)に声をかけられてバンドを組む。
彼の担当はサックスフォンとキーボードだった。
メンバーは6人、ほとんどが同級生だ。
ある日、彼らはタレントショウに出演する。
大喝采!!
夏休みになった。
皆でニューヨークへ行き、夏の間、ハーレムのクラブで演奏した。
夏が終わり、タスキーギーへ戻った彼らに、電話がかかってくる。
「世界制覇したいと思わない?」
1972年、Motownと契約する。
最初の2年半は、The Jackson 5の前座で、ツアーへ行った。
1974年、彼らのファーストアルバム、ファンキーなダンスナンバーの、"Machine Gun"がリリースされる。
1975年は2枚のアルバムをリリースした。
3枚目のアルバム”Movin' On”では、彼が作曲したスローバラード”Sweet Love”が、ビルボードのトップ10に入る!!!
その人物とは・・・
Commodores(コモドアーズ)のオリジナルメンバー、Lionel Richie(ライオネル・リッチー)でーす。
静かにスタートし、歌に入る直前に、すべての楽器が一斉に音を出す瞬間がある。
これがカッコいい。
ライヴヴァージョンでは、前の曲続きで始まり、このパートが聞けないことがちょっと残念。
Commodoresといえば、ファンキーな”Brick House” や”Fancy Dancer”が浮かぶ。
どれも捨てがたいけれど、インストゥルメントがメインの、ファースト・アルバムに収録された、タイトル曲”Machin Gun”はカッコいい。
ファンクナンバーで売り出したCommodoresだけれど、1977年以降はスローバラードが次々とランクインする。
1977年”Easy”(ビルビードR&B1位)、1978年”Three Times Lady”(1位)、1979年”Still”(1位)、作曲はLionel Richieだ。
これまではドラマーがリードシンガーだったけれど、曲を作った彼がリードを歌うようになる。
メディアは、ヒット曲メーカーで、リードシンガーのLionel Richieに注目した。
さらに、作曲のロイヤリティが彼に入るようになり、グループ内での収入差が大きくなった。
グループの人気は絶頂に達するけれど、グループには不穏な空気が流れ始める。
この頃からグループ外での活動も増えてきた。
カントリーシンガーのKenny Rogers(ケニー・ロジャース)に提供した”Lady”は、Kennyのミュージシャン人生でナンバーワンヒットとなった。
1981年、Diana Rossとのデュオソング”Endless Love”は、同タイトルの映画で使われ、ビルボードのHot100で、9週連続1位を記録した。
この曲は、カナダ、ブラジル、オーストラリア、ニュージーランド、スイス、オランダなど、多くの国でトップ10に入った!!
Motownのトップソングライターだった彼の名が、世界に広がり始めたとき、15年間活動を共にした、ブラザーたちとの別れがやってきた。
ソロデビュー
1982年、初のソロアルバムがリリースされた。
タイトルは”Lionel Richie”だ。
収録曲の”Truly”で、彼はグラミー(男性ポップヴォーカルパフォーマンス)を受賞した。
1983年にリリースした”Can't Slow Down”は、収録した5曲すべてが、トップ10入りという快挙を遂げた!
その中の1曲が、1984年ロサンジェルスオリンピックの閉会式で歌われた”All Night Long”だ。
インターナショナルスーパースターの誕生だ!!
しかし、彼の創作意欲が止まることはない。
1984年は”Hello”、”Stuck On You”、”Running With The Night”、”Penny Love”など、次々とトップ10入りを果たす!
White Nights(ホワイト・ナイツ)
1985年、映画”White Nights(邦題:ホワイトナイツ/白夜)”で使われた”Say You, Say Me”が、アカデミーとゴールデングローブのベストオリジナルソングを受賞する!
話はLionel Richieから飛ぶけれど、この映画は是非観て欲しい。
主役はアメリカ亡命を望むソビエトのバレエダンサーと、ソ連に亡命したアメリカ黒人タップダンサーだ。
最初は理解し合えなかった二人が、共にソ連脱出を図るお話。
ストーリーはもちろんだけれど、バレエダンサーのMikhail Baryshnikov(ミハイル・バリシニコフ)と、タップダンサーのGregory Hines(グレゴリー・ハインズ)のダンス、二人のコラボレーションが素晴らしい。
We Are The World
彼のキャリアで忘れてはならないのが、1985年にMichael Jacksonと共に作曲した”We Are The World”だ。
”We Are The World”は、アフリカの飢餓と貧困を解消する目的で作られたキャンペーンソングで、著名な45人のアーティストが参加している。
”誰かを救済するために音楽を作らなければならないことは、とても残念なことだ。
けれども、誰かのために曲を作ることは、作曲以上の価値がある”
”We Are The World”はその時だけでは終わらなかった。
2010年、地震で大きな被害を受けたハイチの人々のために、原曲をリメイクし、”We Are The World 25 For Haiti”がレコーディングされた。
75人のアーティストが参加した今回のヴァージョンには、ラップも入り、世代の移り変わりを感じずにはいられない。
全国かどうかはわからないけれど、この曲は小学校でも習うと聞いた。
”We Are The World”のメッセージと活動は、平和な世界が訪れるまで、次世代に引き継がれていくに違いない。
エピソード
この記事を書くに当たって、Lionel Richieのインタヴューを観まくった。
いくつか興味深いエピソードがあったので、紹介しまーす。
Motown
エピソード①
ある日、Motownのオフィスへ行くと、創始者のBerry Gordy(ベリー・ゴーディ)がいた。
「どこのビジネス学校を卒業されたんですか?」
「・・・俺、高校中退やで」
「・・・」
ビジネス学校へ行かなくても、会社を経営できることがわかった。
エピソード②
スタジオへ行くと、Marvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)がいた。
「どこの音楽学校を卒業されたんですか?」
「・・・???・・・学校なんか行ってないよ」
譜面が読めなくても、作曲できることを知った。
エピソード③
Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)にも会った。
・・・確かに、譜面が読めなくても、作曲はできる・・・。
そして、彼の作曲活動がはじまった。
We Are The World
エピソード①
Michael Jacksonとの作曲活動は新鮮だった。
Michael は、まずリズムを決めて、その後で詩とメロディを作った。
彼らの音楽において、リズムがいかに重要か、ということがうかがえる話だった。
エピソード②
Michaelが色々な動物を飼っていることは周知のことだ。
ある日、Lionel が気配を感じて振り向くと、そこには巨大な蛇がいた!
「Michael!!!」
Lionelが叫ぶと、
「彼は君のことが好きなんだよ。
彼を探さなくちゃね」
「・・・」
蛇はスタジオの中のどこかにいる。
その日は、恐怖とプレッシャーの中で作曲をした。
エピソード③
このキャンペーンソングには、是非Prince(プリンス)にも参加して欲しい。
Lionelは何度も彼に電話をした。
ようやく捕まえて、その旨を伝えると、
「僕だけ個室で録音してもいい?」
「・・・この曲は皆で歌うことに意義があるから、無理かな・・・」
「・・・」
「Michaelの隣にするから」
「・・・」
「もしもし・・・ハロー・・・おる?・・・おーい!・・・」
「・・・・・・・・・・・じゃ、俺、ギターで参加しよっかな」
「・・・」
Princeらしいエピソードだ。
Prince
我々には、少しミステリアスなプリンスだけれど、Lionelにとっては、「ずー----っとバスケットボールをしてる人」
らしい。
そのPrinceが、ある日、スタジオに現れた。
「下に駐車してるロールスロイスって、君の車?」
「そうやで」
「ちょっと乗ってもいい?」
「ええよ」
Princeは夜まで戻ってこなかった。
自宅に現れた彼は、お礼(お詫び?)にスウィートポテトパイを持ってきた。
スウィートポテトパイ・・・プリンスって意外と普通なんだ・・・というお話。
Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)
エピソード①
Stevieの家へ行ったときのことだ。
「君に聞いて欲しい曲があるから、車で聞こう!」
とStevieが言った。
カセットを手に二人で外に出た。
Stevieが運転席に乗ったので、Lionelは助手席に乗った。
Stevieはエンジンをかけ、ギアをバックに入れ、車を動かし始めた。
「Stevie!!!!!!!!!」
「I got you(やったー!びっくりした?へっへっへ)」
エピソード②
冗談が大好きなStevieは、彼に会うといつも、
「Lionel!Good to see you!(ライオネル!いや~、会えてうれしいよ)」
と言う。
挨拶としては正しいけれど、目が見えないので違和感は否めない。
エピソード③
Stevieとのツアーを、Lionelは考えている。
「もし実現したら、どちらが先に歌いますか?」
というインタビュアーの質問に、Lionelは、
「俺!!!」
と即答した。
Stevieはストップのサインが見えないことを利用して、自分が疲れ果てるまで、歌い続けるからだ。
1986年以降
1986年にリリースされたアルバム”Dancing On The Ceiling”の後、Lionelにとって、厳しい時代がやってくる。
離婚、喉の不調、父親の死、アルバムをリリースしてもヒットしない。
心が真っ暗になった。
とはいえ、彼はお金持ちだ。
レコーディングやライヴの数を減らし、健康に気を配り、リラックスする生活にシフトしていった。
2012年、アルバム”Taskegee(タスキーギー)が、ついにビルボード1位を記録した。
26年ぶりだった。
このアルバムは、過去のオリジナルをカントリーにアレンジし、カントリーミュージシャンとデュエットした作品だ。
2017年からは、アイドルオーディション番組の審査員としてテレビに出演している。
若い候補者の中には、彼のことを知らない人がいてビックリした。
最後に・・・
Lionel Richieの活躍、特にソロになってからは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
世界中の人に愛される曲は、心地よく、聞きやすい。
けれども、Commodores時代にはあった、黒人ならではのリズム、サウンド、グルーブがなくなってしまったことは否めない。
「Lionel Richieはあっちの世界へ行ってもたなぁ」
「Commodoresの頃は黒人やったのにね~」
ダンナと私の会話である。
音楽は彼ら黒人の誇りだ。
黒人がCommodoresを愛するのは、黒人にしかクリエイトできないリズム、グルーブがあるからだ。
しかしLionelは、黒人のソウルの詰まった音楽ではなく、万人が好む音楽を作り、お金持ちになった。
大成功したLionelは、彼ら黒人の誇りだけれど、一方でがっかりしていることも事実なのだ。
と常々思っていたのだが、今回、色々調べているうちに、もしかしたら、後半のサウンドの方が、彼らしいのかもしれないと思えてきた。
タスキーギのコミュニティで、カラーブラインドで育った彼が、人種差別を経験したのは、Commodoresでツアーへ行くようになってからだ。
作曲のためには音楽学校へ、経営をするにはビジネス学校へ行くと信じていた彼にとって、大学進学は当たり前のことだった。
彼は、あの時代の黒人には珍しく、とても恵まれた環境で育ったに違いない。
そして、家で聞く音楽はカントリーと、クラシックミュージックがほとんどだった。
Taskegeeは、過去の曲をリメイクしたものだ。
このアルバムを聞いたときに、Lionel Richieの好きなサウンド、彼のベースはここだったんだなぁ・・・と思った。
そしてもうひとつ、コンサートやインタヴューの映像を観て、彼が話上手で、コミュニケーション能力に長けていることがわかった。
観客とのコミュニケーションも抜群で、実に素晴らしいパフォーマーなのだ。
Lionel Richieのコンサートに来た観客は、大満足で帰ること間違いない。
結論。
やっぱり彼は、世界が認めるスーパースターだった。
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