兄が自殺した時のこと。

2021年12月16日(木曜日)21時35分

母からの着信

私「もしもし~どうしたの?」

母「もしもし、落ち着いて聞いてね、お兄ちゃんが…」

私「え?事故?」

母「ううん、違う、事故じゃない」

「おばあちゃんの家で、首を吊って…「死んじゃった」」


“え? お兄ちゃんが?”

“嘘でしょ?”

“冗談きついよ“

“何かのドッキリ?”

“年末に帰って来るんでしょ?“

“なんで、おばあちゃんの家にいるの?”

“死んじゃったって、どういうこと?”

頭の中がこんな言葉でいっぱいになった。

おばあちゃんの家といっても、祖母は8年前に亡くなった。なので祖母の家には誰もいなかった。

私は、母の電話を切って、夫と急いで母の家に駆けつけた。


母「お兄ちゃんね、今、検死のために警察署にいるんだって」

 「遺体は、いつ引き取れるかわからないって」

「今日と明日は、お兄ちゃんの所に行っても身動きが取れないから、明後日の日曜日にみんなで、おばあちゃんの家に行こう」


“本当なんだ”

“本当に…本当なんだ”

“お兄ちゃん、亡くなっちゃったんだ”

“いやドッキリかもしれない”

“おばあちゃんの家に着くと、ドッキリでしたーテッテレーってお兄ちゃんが出てくるに違いない”

“いや、そんなドッキリ、あるわけ…ないか”


兄とは、コロナパンデミックが始まった2年前ぐらいから、ずっと会えていなかった。


兄に最後に送ったLINEは、『置いて学校行っちゃだめぇぇぇ!!お兄ちゃん大好きな妹」というユーチューブのショート動画のリンクだった。12月8日。


9月13日

私「お兄ちゃん、夏休み、小学生の時におばあちゃんの家で宿題を教えてくれようとしたのに、反発して言うこと聞かなくてごめんね~」

兄「そんなことあった?どうしたの、急に」

私「昨日の夜、思い出して、悪かったな~謝ってなかったな~って思って~」

兄「ふ~ん、そうなの」

小さい頃の事を、ふと、謝りたくなってLINEをした。


10月12日、サイゼリアで兄に似た人を見かけた。

LINEで
私「お兄ちゃん、今サイゼリアにいた~?」

兄「いないよ」

私「そっか~、そっくりな人がいたから~」

兄「今日は家にずっといるから違うねー笑」


10月22日、母から兄が転職すると聞いて送ったLINE

私「お兄ちゃん、(面接)受かったら、遠くに行っちゃうの~?」

兄「さあ、そうじゃない?」

私「寂しくなるね~!」

兄「まあ、しょうがないね」


11月17日

私「お兄ちゃん、この前は嫌なこと思いさせちゃってごめんね。年末かお正月、またみんなで集まってご飯食べたりしたいけど、難しいかな~」

兄「それは別にいいけど、みんなで会うのはまだ難しいかな。コロナもおさまった訳ではないし、うつしてしまうと大変だしね」


私「そっか~、大丈夫な状態になったら、またみんなで会いたいね~!」


兄「そうだね、収束してからだね」


その時、私はこう思った。

“収束っていつのことを指してるんだろう?”

“コロナウィルスがゼロになることを収束っていうんだったら、もう一生会えないってことじゃんか”

そんなことを思っていた矢先の1か月後、兄は、本当に、もう一生会えない人になってしまった。



寂しい気持ちと、兄に会いたいという気持ちが解消されないまま、ユーチューブを観ていて見つけたのが


「置いて学校に行っちゃだめぇぇぇ!!お兄ちゃん大好きな妹」というタイトルのショート動画。

小学生のお兄ちゃんが、ランドセルを背負って学校に行こうとするのを泣きじゃくって必死で引き止める妹。

"私もそんな時期があったな"

お兄ちゃんを必死で引き止める、その妹の姿が、幼い頃の自分と今の自分と重なって、胸がキュッと痛くなった。


“お兄ちゃん、会いたいよ”

なんてLINEは恥ずかしくて送れなかった。

だから、この動画のリンクを送った。


もっと素直に言えていたら、会いたい気持ちが、ちゃんと、伝わっていたんだろうか。


もう、お兄ちゃんは、答えてはくれない。

死んじゃったんだから。


もしコロナパンデミックがなかったら、一昨年も去年も今年も、ふつうに家族で会えていたんだろうか。


でも、もしも、なんて、所詮、もしもだ。


もし、なんて選択肢は、これまでもないし、あの時も、なかったんだろう。


2022年、年は開けて世間はおめでたいムード一色。


”年が開けただけなのに、何がめでたいんだ”と本気で思えた”


「あけまして、おめでとう」じゃなくて、「あけました、それが何か」

こんな風に思ったお正月は、生まれて初めてのことだった。



父には、こんなメールを送った。

「パパ、家族ってさ、パパとママとお兄ちゃんとお姉ちゃんと私の5人と、おばあちゃん、おじいちゃん達のことだって思ってたんだけどね、家族って、流動体なんだな、って最近は思えてきたんだ」


「家族は集まっていなくちゃいけないって思ってたんだけど、集まるっていうことは滞るという事なのかなって」

「昔の家族、だけに固執しないで、それが幸せの全てだって思わないで…

これからは、その時、その時の家族、出会った人を大切にしたいなって思えてきたよ」


「物理学では、時間は不連続なものだから。」

「家族においても、過去の家族も、今の家族も、みんな大切で、同時進行で生き続けてるんだなって思う」



「生命は、動的平衡だ」

生物学者の福岡伸一先生が言っていた。


食べたものが細胞になり、古い細胞は外に出て行く、

入っては出て、を延々と繰り返し、生命体を維持していく。

すなわち

その状態が動的平衡。


生命は動的平衡であり、状態なんだ。


生物学的に言えば、

お兄ちゃんは、動的平衡が崩れただけ。

完全に消えていなくなったわけではない。


東大の教授、解剖学者で昆虫好きの養老孟子先生は、

「自分と環境は切り離すことができない」と言っていた。

「どこからが自分で、どこからが自分じゃないかの線引きは出来ない」と言っていた。


人間は酸素が無かったら呼吸が出来ない。

酸素は自分か?環境か?


養老先生風にいえば、

兄は、環境になったんだ。


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