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懺悔
先日、チャンス大城さんの著書「僕の心臓は右にある」を読んだ。チャンス大城さんは、クリスチャンの家庭だったので、年の暮れには家族で1年間の懺悔を神父様に告白する。神父様は扉の向こうでそれを聞いている。
チャンス大城さんは、友達と一緒に凶暴な野良犬を連れてきて、昼寝しているお父さんの部屋に放したこと。ひどい。お父さんは野良犬に噛まれて叫び声を上げる。お父さんもまたそれを神父様に告げ口をして、神父様が扉から顔を出さないので扉を開けると、声を出さないようにして笑い転げている。野良犬を見かけなくなった今日では、考えられない事ですね。
そこで私も去年やってしまった、懺悔したい、懺悔せねばならない事があるか必死に考えてみました。
失敗したことを覚えていられる脳内の記憶期限は1ヶ月ほどなので、いろいろあったとは思うのですが、記憶に新しい懺悔せねばならないことがありました。
メガネをかけずに、日も暮れ始めた時間、今日の夜は大学生の次男と高校生の三男と私の3人で回転寿司にしようと歩道を歩いていました。私は三男と並んで、次男はその2メートルほど前を歩いていました。
その時です。「フエッックショーーン」と静寂を突き破るクシャミが聞こえました。語尾にチクショウも付いちゃうような。
私はすかさず、2メートル前にいる次男に聞こえる声で「もう、何オヤジみたいなクシャミしてんのー!」と、ツッコミを入れましたよ。そうしたら次男、普段は見ることのない、まさに電光石火の動きで後ろを振り向き、人差し指を口に当てて「シーっ」とやったのです。
そして同時に、歩道の脇に並んでいた自転車と自転車の間にしゃがみこみ自転車のタイヤの様子を見ていたホンモノのオヤジ、もといおじさんがぬっと立ち上がった。ということは、今の「フェックショーーン」はこのおじさんのクシャミだったのか。
そこで焦った私は、「もう何言っちゃってんの、〇〇ったら」と横に並んで歩いてる三男のせいにして小走りで走って逃げました。
本当にごめんなさい、おじさん、次男、三男。いやでもね言い訳すると、次男の普段のクシャミはフェックショーーンなんだから。突っ込んでほしいのか?ってつい、思っちゃうのです。
これが、思い出した唯一の懺悔です。反省しました。これぞ、「口は災いの元」です。
息子が買ってたアイスをつい食べちゃったり、学校への提出書類に印鑑を押し忘れたり、毎日に起こるうっかり忘れなんて、かわいいものです。
クリスチャンではないので、教会で懺悔はしないのだけど、こうやって一年に一度、振り返って反省するのもいいものです。