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先生

こんばんは。
小学校高学年からずっと、
先生になりたかった
あずきちゃんです。

当初は、見える大人が「先生」しかいなかったから、何となく、先生になりたかったんだと思います。

中学生時代に、友達に勉強を教えて、楽しかった。
友達がくれる「ありがとう」が本当に大好きだったし幸せだった。

そして、自分自身も、勉強がわかって、楽しくなって、たくさん勉強した経験がある。
わかる、楽しい≒幸せ、それを創り出せる先生って凄いな、と思った。

だけど今は、
現実を見すぎてしまい、
先生になりたいという
あのころのとてもとても熱い気持ちや
先生になりたいという
ピュアな眼差しは
わたしにはなくなってしまった。

だからなんか

先生になりたいって

努力している友人を見ると

虚しくなる。


わたしは、いつの日か、
先生
になれないと思った。

言葉が沢山足りてない気がする

わたしは、
わたしの求める理想な先生には
なれないと思った。

わたしは、どんなに小さなことでも完璧を求めてしまう、そしてできないとわたしを責めてしまう

先生は
先生の社会は、とにかく完璧なんてないと思う
日々仕事を悶々とこなすことが大切なのかもしれない


そう!


わたしは、なんかわかんないけど、
先生になりたい自分、
なりたかった自分に、
完全にブレーキをかけてたんだと思う。

労働環境が良くない、
その状況で
目指してた当時はなんと思わなかった

今は、
世の中にホワイト企業が溢れてて、ブラック企業も溢れてる時代に、なぜブラック企業を選ぶのかがわからなくなってしまった。

当時は、やりがいとか、対価に見合わなくても子どもたちの成長を肌で毎日感じられる仕事はあまりない

なんて考え、なんてきれいごとでどうにかなってた。

でも、お金やひとりの時間、休日、
ぜんぶわたしの思ってる以上に必要なのだと思うようになってしまった。

考え方が変わって
でもまだなお
わたしは教育に携わりたいとは考える。

理想だけでわたしがわたしを縛ってて、
最近、本当にしんどい。

そんな中わたしは
将来の夢
その難しさに直面した。

夢は、夢で終わらせたくない
これもまた綺麗な話

難しい

でもわたし、やっぱり、
子どもたちに学ぶ楽しさを伝えたい
そんな教育したい。

理想に縛られて、
わたしはわたしを殺しちゃいそうで
それが怖くて
先生
じゃない働き方を探してた

だけど、
そんな考えの狭い
一本道しか見えていない
わたしを変えたい

まわり道も
人生の中には必要だし、
非効率な時間こそ
人生の中の幸せなんだと思う。

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