noteを始めて二ヶ月が経ちました。まだ三編しか記事を投稿していません。遅ればせながら、やや気恥ずかしいのですが自己紹介を兼ねて詩(のようなもの)を作りました。よろしくお願いします。 白い秋 長かった夏の日々 私は くたびれたよれよれのサラリーマンでした 昼は雑務に追われる多忙な勤め人 夜は本と酒が好きな凡庸な夢想家 それだけです でも夏は過ぎ 季節は今 白い秋 空は晴れわたり 大気はどこまでも澄んでいます 海の上 入道雲はいつか消え はるかに高く鰯雲 おだやかな
秋の朝 渚を歩く 私たちに最も近い恒星から 今朝もこの惑星の半球にあまねく光が届く 海がきらめく 波打ちぎわをたどりながら 学校唱歌のように昔を偲ぶ でも 壮年や青年の日々ではない 巻き貝の殻を拾いあげると そうした洞窟に迷い込んだような日々を 一息にくぐり抜け 螺旋の奥に 渦の深くへ 確かにあったあの輝かしい王国へ * * 少年の目に映った 夏休みの朝まだきの樹液を啜るカブトムシ まだ胸のふくらんでいない 少女のかぶる麦藁帽子 停電の夜の蝋燭の炎のゆらぎ
この秋も 歴史は 濁流となって 大河が蛇行しながらも海に向かうように 進んでいるのだろうか? 長い雨の後 暑気は去り 空気は洗われ 塵埃は落ち まだ濡れている舗道に 木犀の香が漂い始めたころ 雷神ペルーンに率いられた 北方の帝国から 鳥が渡ってくるこの島国では 太平洋の対岸のもう一つの帝国に向けて 約束する小指のような形をした半島の 付け根あたりの軍港に近く 毎年 夏のしたたるような 濃い緑に被われた樹々が やがて蕭条とした枯れ木立となる 低い山々の峡にある陋屋の 古
暗い夜の海で難破船から投げ出され うねる波の間につかのま漂う人々の叫び声を 聞くことはできない 遠い朝の渚に打ち寄せられた子供達の亡骸を 見ることはできない その叫喚は私の声ではない 私の妻の声でもない その小さな身体は私の子ではない 三月の昼過ぎ 日差しのぬくもりを額に 微風の柔らかさを頬に受けながら 妻と子と三人で浜辺を散歩する 輝く凪の彼方 明度の異なる青が接する 水平線を眺めていると 波打ちぎわにしゃがみこみ 砂をいじっていた娘が お気に入りのピンクの帽子を少しあ
私のパートナーは重い心の病に苦しんでいました。当時の彼女の心象風景を想像し言葉にしました。私自身辛いことですし、また、言葉の使い方として「危うい」という思いもあります(そもそもわかるわけがないことを想像し言葉にするという意味で)。しかし、今となっては私しか書けない事柄であるという気持ちがあります。 併せて、彼女への挽歌である既投稿の「不在」と「君のいないピアノ」もお読みいただけると嬉しいです。 窓の外は雨 ここはどこ? 私は今どこにいるのですか? 薄暗く肌寒い部
パートナーの急逝後に書いた一連の挽歌の一つです。第一作「不在」は投稿済みです。写真の中の絵はデンマークの画家ハマスホイの「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」(部分)であり、国立西洋美術館に常設展示されています。 君のいないピアノ ドアを開くと奥の部屋に 君のいないピアノ 椅子だけ置かれたピアノ 昔、僕は訊いたっけ 「別れの曲」ってポピュラーだよね? 君はうつむいて、でも、 ふふと笑いながら答えた あれは、エチュードだけれど、 すっごく難しいのよ 今、音のない部屋に
パートナーの急逝という人生で最も衝撃的で悲痛な経験をした後、生まれて初めて書いた詩です。彼女への挽歌です。 不在 風に揺れる木々の若葉から 木洩れ陽がはだらに落ちる日 あの美しい初夏の日に 君は忽然とこの世界から消えた。 その日を境に 世界は決定的に変わってしまった。 夜が明けないわけではない。 日が昇り日が沈まないわけではない。 星がまたたかないわけではない。 風が頬を撫でないわけではない。 陽が額に差さないわ