誰の不幸も喜ばない代わりに、誰の幸福も祈らない

昔はもう少し性格が良かった、と思う。
身近な人が苦しんでいたら迷惑でない限り寄り添いたいと思っていたし、困っていたら進んで手助けをしていた。
他人の痛みを我がことのように感じる精神がそうさせているようだった。それが長所だとすら思っていたが、紛れもなく短所だ。
今は極力、そういうことはしないよう生きている。疲れるから。

何故疲れるのか。
他人のコロコロ変わる意見や感情についていけなくなったからだ。
「やっぱり〇〇が一番いいよね!」と言っていた人が「やっぱり□□が一番!」と言う。
「これは私が責任持って担当するね」と言っていた人が「やっぱり無理そうだから任せていい?」と言う。
「あの人が苦手で、話していると苦しい」と泣いていた人が、その後無理している様子もなく「あの人」と楽しそうに談笑している。
「貴方にしか出来ない!」と言われて懸命に取り組んでいたことを「他の人に任せることにしたから」と言われる。
何れも数日もしないうちに。下手をすれば数時間で。
どんな事柄にも共に悩み、解決策を講じ、真剣に考えてしまう私はその都度混乱した。
全てを本気で受け止めていたからだ。
毎回、どういうことだろうと驚き戸惑っていた。
こちらだっていい大人だから本音と建前くらい分かっているつもりだ。
自分が嫌いなものについて相手が喜々として語っているのに水を差す訳にもいかず話を合わせる時も、不快な話題を嫌だと切り出せず静かにしている時もある。
でも、それとはまるで違う。
一瞬で熱が冷めるような、何か幻を見せられていたような。あれは一体何だろう。
周囲に気を遣って迎合する自らの悪癖とも異なるその心変わりに、どうしてもついていけない。
状況が変わった?
一気に解決した?
より良いものに心惹かれた?
どれもあり得ることだ。分かっている。
分かっている。分かっている。
理解できる。
だけど、どうしても上手く飲み込めない。
どうしてそんなに無責任に発言出来るのだ。
これが正しい現実のスピードなのか。
それならもう、私には無理だ。

以前会社の人達に強く頼まれたので仕事とは関係のない、とある作業を引き受けたことがある。私の趣味に関わる分野で、色んな人に代わる代わる「楽しみにしている」と言われた。その期待に応えたかった。
その気持ちが傲慢だったのだろうか。
なるべく早く、と言われたので無茶をして数日で仕上げて会社に完成品を持参する。
するとどうだろう。
誰もがそのことを忘れているのだ。
中には「本当にやってきたんだ」と驚く人もいた。
結局更に一週間ほど職場に放置された品は、所望していた人達にそれとなく促して回収してもらった。こんなことは一度や二度ではない。
私は約束した。だからそれを守った。
社交辞令や冗談なら何度も面と向かって催促しないでほしい。それは我儘な言い分なのか。
いつだって出来るだけ誠実な対応をしたいと思っている。そういう自分が、ただイタい人間なのかもしれない。
考えるのも面倒臭い。

人の気持ちは移ろいやすいものだよ。
そうじゃなくても心が二つあったりするものだから、いちいちそんなことで傷ついちゃいけない。
強い人は皆そう言う。諭すように。
臨機応変に世間を渡っていける人は、そんなこと気にも留めず対応出来るのだろう。
私には出来なかった。それだけのこと。
そうして、まともに取り合うのを止めた。
他人が大変そうでも、もう胸は痛まない。
とても気楽になったけれど、自分から何か大切なものは失われた気がする。

出来ない約束はしないでくれ。
やりもしない癖に期待させないでくれ。
上辺だけのお世辞や嘘を言うくらいなら、最初から放っておいてくれ。
生真面目に考えていた自分が馬鹿みたいだ。
実際、馬鹿なんだろうな。
世の中を効率よく立ち回っている人は、その辺りのスキルが本当に高い。
そしてとっても、楽しそう。

同僚が午後仕事を休んだので残業。
ギリギリになった業務を頼むのが気まずいからってメールだけ寄越すな。気づくのが遅れる。
人数制限のある喫煙所に、平気な顔して制限以上の人数で押し寄せるな。先に入っていた人は何も悪くないのに、遠慮がちに退出する。あーもう、何も理解出来ない。
こういう時に限って差し込みの仕事が多く、面倒な作業だけが押し付けられる。
今日も今日とて今後皆様が楽に仕事が出来るようシステムを整えましょう。
チェックを担当すべき上司も既に帰宅したので、引き継ぎだけしておきましょう。

数日前、足を挫いた所が段々痛くなってきた。でも今週いっぱいは休めない。
湿布だけ貼っとこう。
壊れるものなら壊れてみろ。どうせ壊れないんだろう。無駄に頑丈だから。無駄に理性が強いから。
人間が壊れるのはなかなか難しい。
安心して壊れる場所も持たない私には、壊れることすら贅沢だ。

学生時代の友人が、数ヶ月音信不通の別の友人を心配していた。私にも積極的に連絡を取ってほしいらしい。
「まぁ、今は何か落ち込んでるのかもしれないけど、忙しいだけかもしれないし。元気になったら連絡来るでしょう」
安請け合いはしない。
私は、守れる約束しか口にしない。
「何というか、ドライになったねぇ」
何時間でも親身に他人の悩み相談に付き合っていた私を知る、その人は言った。
『冷たくなったね』という言葉を婉曲な表現に直した優しい人。戸惑いに揺れる瞳が真意を物語る。
「そうかな、変わらないよ」

これは、一体誰の所為?
自己責任ばかり叫ばれる世界。
多分自分の所為でしょう。

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