中途半端な時期に始めた日記は失敗する

私にとって感情とは、表に出さず文章として綴るものだ。思えば子供の頃からそうだった。
喜怒哀楽をあからさまに表情や行動や言葉で表すのは恥ずかしいことだと何故か思っていた。全然そんなことないのにね。
心から楽しそうに笑う人は見ていて癒やされるし、嫌なことをきっぱり言葉で伝えられる人はカッコいい。そういう人に常に憧れながら、ちっともそういう風にはなれない。
いつも曖昧な態度で下手な愛想笑いをしたり、爆発しそうな鬱憤を溜め込んでばかりいる。
まぁ第一自分なんかの気持ちを人に伝えたところで、いいことなんか一つもないことを知っていた。
両親にお前はおかしい奴だと突きつけられるのか怖かった。友人に内心見下されているのが分かって辛かった。恋人が理解出来ない私の思考に無理して寄り添おうとする違和感に耐えられなかった。
そういうわけで、いつでも感情は文字で書いて発散するものになった。
自分で自分の感情を文字にすることで、落ち着いて脳内を整理出来る。そうしなければ今自分が怒ってるのか悲しいのかも分からないのだ。
そもそも感情コントロール下手過ぎ人間だから、変なタイミングではしゃいだり泣いたりしてしまう。相手がポカンとしているのを見て、消えてしまいたくなる。
これまでずーっとノートに日々の気持ちを綴ることで、それなりにやり過ごしてきた。
アナログ人間。
アナログはいい。どれだけ薄汚い感情を書きなぐっても誰にも迷惑を掛けない。仮に読まれて軽蔑されても、勝手に読んだ人間が悪いと開き直れる性格の悪さ。
だけどSNSはまた違う。あれはどうしても目に入ってしまう。性格的にとことん向いてなかった。たった半年かそこらでリタイアした。
目に飛び込んでくる文字の羅列が感情に変換されて自分の中に流れ込んでくる。しかも大体好ましくないものが。
この世に好きじゃないものが多すぎる自分が悪い。

今になってまたこういう所に書こうという気まぐれを起こしたのも変な話だ。大人しくノートに自分の駄目なところ書いときゃいいのに。
さて、いつまで続くか。
明日も仕事だ。眩しくてうるさい人達の中で働く苦痛を思うと、永眠したくなる。

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