レジのベルトコンベア
昭和のスーパーのレジスターは当然スキャナーなどなかったので手打ちで、シールの値札を一つ一つ「○○円」と読み上げながら、レジのキーをブラインドタッチで打ち込んでいた。レジ打ちのお姉さんの鮮やかな手つきに憧れて大きくなったらレジを打つ人になりたいと言っていた時期があった。
それはさておき、いつの間にか見なくなったが、レジを打ち終わった商品はそのまま傍のベルトコンベアに流され、数十センチ先で客が待ち構えては袋に詰めていく連携プレーシステムがあった。そこでもレジのお姉さんの技が光り、瓶など重いものから流れてくる。お姉さんは有能だった。
今はスーパーで買い物するとレジから少し離れた台でかごから袋へ全て自力で詰める。店によってはセルフレジで、スキャンからしなければならない。
母は私に重いものを下にとか、薄いもので壁を作るとか、卵のパックは立ててもいいとか袋詰めのコツを教えてくれたが、よくわかっていない私はいい年になった今でも自己流でいびつな買い物袋を完成させてしまう。
実際買い物の袋詰めは、汁が漏れそうなものや冷凍食品はビニールに入れるといった知識と、袋の中で品物が傷つかないための積み重ねる技術が必要とされる。これって日本人特有の感覚だろうか。なんとなくアメリカ人とかはそんなこと気にせず袋に放り込みそうなイメージだが、偏見だろうか。
そんなわけで子どもの頃はレジのお姉さんになりたかったが、今はいやだ。昔よりタスクが減ったとはいえ、瞬発力に欠け、複数のことを同時にこなすのが下手なので忙しいレジに立つと絶対パニックに陥るだろう。現金を扱うと(自動で出てくるのじゃなくて)、お釣りの数を間違えそうだ。
子どもの頃は何にだってなれそうな万能感があるものだ。しかし歳を重ねるごとに己の限界値を悟っていく。
名人芸はするものではなく、見て愉しむものなのだ。