ツェッペリンとジェフ・ベックをバックし、ヒット飛ばしたドノヴァンのこと
【 レッド・ツェッペリンとジェフ・ベック・グループをバックにして、ヒットさせたシンガーソングライター DONOVAN 】
ハーディ・カーディ・マン 1968年
バラバジャガ 1969年
ドノヴァン(長い間、昔からドノバンと表記されていて、頑固に私はドノバンとしていたが、ついに私も折れて、現在表記の「ヴァ」にした)のお話。
まず、「ハーディ・ガーディ・マン」
後に、ジョン・ポール・ジョーンズは、その場にジミーもボンゾもいなかったと言ってるが
ドノヴァン本人は伝記で、その場に、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムがいたと書いている。
他にギターにアラン・ホールズワース、ドラムにクレム・カーティニがいたと書いてあり、こちらがホントかも。
歳取ると、自分に都合よく記憶が書き換えられがちらしく、ドノヴァンの伝記には、それも?あれも? え、それに関わってた? という【?】が、たくさんある。
まあ、真実はさておき、そのほうが面白ければ、「すべらない話」ではないが、盛るのもありかな。
さて、「ハーディ・ガーディ・マン」
アコースティックギターと独特のビブラートでドノヴァンが入り、そのあと、ダイナミックなドラムとサイケデリックなギターが展開するハードロック的な曲。
本人によれば、曲想を思いついた時、イギリスにきてたジミヘンに頼もうと思ったとか。
連絡すると、どっかのライブに行ってるとのことで、代わりにジミー・ペイジとホールズワースを呼んだとのこと。
考えたら、豪華なギター陣。
もともとジミー・ペイジはスタジオミュージシャンで、ドノヴァンのレコーディングには参加してたことがある。
ジョン・ポール・ジョーンズもアレンジとかでも参加してて、ジミーと参加してても、おかしくない。
でも、ツェッペリン結成後ならありうるが、その前にスタジオミュージシャンとしては、ジョン・ボーナムは参加してないとは思う。
でも、まあ、これが、プラント抜きのツェッペリンと言われれば、ちとドラムには重さがないが、そうにも聴こえる。
曲自体の出来は素晴らしく
大好きだし、アレンジもだが
ドノヴァン本人の歌も、ガシガシした強靭な生ギターのストロークも実に気持ち良い。
私が知ってるなかでは
後に、スティーブ・ビレッジがカバーしてて、輸入盤で見つけたとき、当然すぐにそのLPを買った。
そして、ジェフ・ベック・グループと共演の「バラバジャガ」
これは、プロデューサーが同じミッキー・モストだからの実現。
イントロのジェフのギターが秀逸。
素晴らしいイントロ。
曲は、ドノヴァンはワンコードやツーコードの繰り返しからの展開が得意で、そのパターン。
ドラムがミック・ウォーラー
ベースがロン・ウッド
ピアノがニッキー・ホプキンスという強力なメンバーでのセッション。
コーラス隊が囃し立て
同じパターンの繰り返しのなか
ドノヴァンの生ギターの強靭なストロークは強き柱となり
時折り、ジェフのギターが遊び
ドノヴァンの歌唱が爆発。
終盤のジェフのギターもドノバンの歌も遊びだすとこ、もっと長くエンディングを引っ張ってもらいたいくらい。
もう、大好きな曲。
というわけで
本人の証言では
デビュー前のレッド・ツェッペリン
売り出し中のジェフ・ベック・グループ
と、相次いで共演となる。
ちなみに
私、記憶では、
中2くらいかな、時は1971年?
だんだん洋楽に目覚め始め
たまたま、FM放送の夜11時からのCBSソニー系の洋楽を流す番組で、ドノバン(当時の表記)のベスト的な選曲を流してくれて、それが気にいり、14曲入りのベスト「ゴールドディスク」シリーズを買ったのが、最初。
だから
考えると
ツェッペリンもジェフ・ベックも
初めてレコードを買ったのは、ドノバンのレコードということになる。
その後、「レッド・ツェッペリンⅡ」を年長の従兄弟から渡され
来日するという話があったベック・ボガード・アピスを買っていき
それぞれ、遡ったり、発売を楽しみに待ったりして、ツェッペリンもジェフ・ベックも買い揃えるようになっていった。
また、ドノバンも様々なアルバムを揃えて
「魔女の季節」をカバーしてるからと
アル・クーパーの「スーパーセッション」を買い
「霧のマウンテン」をやってるらしいと
オールマンの「イート・ア・ピーチ」を買い
「ラ・レーニャ」をやってると
第一期ディープ・パープルを買い
といった次第。
アリス・クーパーの「ビリオン・ダラー・ベイビーズ」を買ったのも
大人気と高評価の他、ドノバンが参加してたからだ。
ありゃりゃ、、
昔のことを思い出していたら
ドノヴァンでなく
ドノバンと書いていたよ(笑)