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ユートピア 2回目の来日公演

【 自分が行ったコンサートがライブ盤になると嬉しいよね 】

ユートピア『オフィシャル・ブートレッグ・ライブ・イン・トーキョー '79 』


この日のコンサート
ユートピアの曲と
トッドの曲と
どちらもベスト選曲のように混じり
良い流れだった。

なんと、オープニングの「Trapped」でのカシム・サルタンのボーカルから始まったのは、まず第一のびっくり。
この曲でのギタリストとしてのトッドのプレイがまたかっこよかった。
持つギターは、ムスタング。
日本でのムスタングというと、Char 。
アメリカでは、トッドか。

また、トッドのギターとロジャーのキーボードがソロの応酬したり、演奏面も楽しめた。

「Seven Rays」のインスト部分でのカシム・サルタンのベースがまた良いのだよねえ。

前回もプレイした「Hiroshima」の終盤に、キーボードのとこで小さい爆発みたいな演出があり、そこは、なんだかなあ、とは思った記憶もある。

全員がプレイし歌える。
4人でも、わりと厚い音になるなあ
とも、思ったっけ。

終盤の「intiation」からの「Couldn't I Just Tell You」で締め
アンコールで
「Hello It's Me」
「Just One Victory」
という黄金リレー的な曲順
実に素晴らしかった。

全員、歌えて、いろいろ楽器が出来る
まさに黄金の4人でした。

この
1979年のトッド・ラングレン率いるユートピアの2回目の来日公演のオフィシャルブートレッグ。
4月9日だという。
この中野サンプラザの来日公演、私が行った日。
この来日公演では、中野サンプラザでは2回コンサートやっていて、4月8日と9日、どちらも行っているから、間違いなく客席にいた。

1976年の初来日公演も中野サンプラザに行っているが、この2回目来日公演はライブ盤になっているため
記憶が上書きされ
その日の映像まで脳裏に刻まれている。
記憶があやふやな1976年とは、えらい違いだ。

この1979年の中野サンプラザ公演
まず、FM東京で、2週にわたり、放送された。
ちゃんとエアチェックし、カセットに収め、愛聴していた。 
後に、CD時代になり
海賊盤CD2枚組で発売。
カセットテープは劣化するので、これは嬉しかった。
そして、その後
オフィシャルブートレッグとして、CD二枚組としても発売された。
ここで、曲順が、正しい曲順に修正されたようだ。
FM放送と海賊盤CDは、同じ曲順。
オフィシャルブートレッグは、それを正しく変更。
それも、きちんと買ったので、
私の記憶も、さらに更新された感じだ。
FM放送の時、「あれ? こんな曲順だったかな?」と疑問があったのが、解消。
そうか、この曲順だったのか、と。


こうして
自分が行ったコンサートが正式にライブ盤として発売されると
すんごい嬉しいよね。

あのパープルの「ライブ・イン・ジャパン」など、ジャケットに映る客席のあそこが私だ、なんて人いるもんなあ。
「ライブ・イン・ジャパン」ものは、たくさんの当日の経験者が自慢にしてるんじゃないかな。

このユートピアのコンサート
そんなライブ盤の中の客のひとりである、ということ
私の初めてのひとつだ。

記憶が上書きされるのか
見た記憶もけっこう残っていて
このコンサートの日か別の日かは不明だが、曲の中盤に、ギターソロを弾こうと勇躍前に飛び出したトッドが、床に敷いてあるケーブル類に躓き、ステージからギター持ったまま真っ逆さまに転落したのは、忘れられない映像として、脳裏に残っている。
あ、危ない
と心配したが
トッドは、立ち上がるや否や、躓いたらしいケーブルの束を床から引っぺがし、八つ当たりしていて、引き攣っていた表情まで記憶している。
よっぽど腹が立ったか、恥ずかしかったか、
両方だろな。
また
「キャン・ウイ・スティル・ビー・フレンズ」でピアノ弾きながら歌うトッドのまわりを綺麗な美人バレリーナが踊っていたのも記憶している。
ドラムスのウィルコックスがリードボーカルの曲では、ウィルコックスがカシム・サルタンからベースを渡され、カシム・サルタンはトッドからギターを渡され、トッドがドラムスに座るという楽器交換のシーンも記憶にある。
いまなら、それぞれの楽器はそれぞれ用に用意されたりするんだろが、ベースもギターもストラップ込みで、そのまま引き継いでいた。
身長違うから、ストラップの長さ、多少はやりにくいだろうなあとか、当時思った記憶が。

そんな記憶が
音も映像も
上書きされて
脳裏に刻まれて残っているのは
ちゃんと盤として出ているからだね。
海賊盤でなく、正式盤として、音質良く。

宝物のようなオフィシャルブートレッグでした。

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