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「アルケミスト」を読んで思ったこと

パウロ・コエーリョ著「アルケミスト」を読んだり、最近の出来事からふわ〜と沸き立った思いをそのまま書いた。

幸せっていう状態
私が副業をする理由
なぜだと思うか

アルケミスト
宝物がそこにある

私が独立したいと思う理由は
やってみたいと思うから

そういう生き方もあると
知ってしまったから

客観視することに面白がる秘密がある

面白がることができれば、環境を変える必要はない?

違う

私がしたいと思うことは、宇宙がしたいと思うことだから

だから私はやってみるんだ

なぜ私はそれをしたいのか考える
なぜ私はしたくないのか考える

自分を幸せにしてくれる種類の仕事について考える
誰かに必要とされることを考える

ただ、私はもっと私の人生を自由にしてあげてもいいのかもしれない。
手綱を緩めて、馬が走りたい方向へ走らせてあげればいいのかもしれない。

人生はゲームだ

苦しむことを楽しむというのは、そういうことかもしれない。
いつも心に耳を傾けて、心の声を聞くようにしよう

私が何かをしようとするときに、心の声をきこう。
心の言うことを聞くことができない場合だとしても、無視するのではなく、話を聞いて、理由を話して、ごめんねって言おう。

私がしたいと思うことを始めたこと。
それだけで、しなかったあの頃よりも私は幸せだ。

私があの場所に行きたいと思うのは、
あそこに行くこと。あそこでのあり方。

毎日があんな風だったらどんなにいいだろう
と思うのはなぜだろう

そうなりたいと思って努力することは幸せか?

在り方という心持ちだけ、今の自分にインストールすることができるのではないか

そうすればもう、幸せで。そうすれば、不思議とそれは叶えるべき夢ではなくなり、ただこれからしようとしていることになる。

だから、叶うというか、する。しようと思うことをだたするから。

巷の引き寄せ位の法則というのは、この原理を利用しているのではないか。

アルケミストには引き寄せの法則のようなものは出てこなかった。
少なくともそれは利用するようなものではなく、後から俯瞰として眺めたときにそういうふうにも見えるというだけだ。
どんな人生もそうだ。

自分の心にあり方をインストールするというのは、どうやるんだ?
コツとかあるのか?
みんなに「あの感覚が」それぞれの形であるのだろうか
あの感覚を常に心に留めること。

私は引き寄せようとしているのではない。

私は今を楽しみたいと思うから、するのだ。

私は手綱を緩めようとしているだけだ。

私が求めているものがあの感覚なのであれば、もしかしたらそれは遠くまで行かずともその辺にあるのかもしれないからだ。
私は思い込みをしていて、それによって苦しんでいるかもしれないからだ。
もっとも選んで苦しんでいる、苦しむことを楽しんでいるならそれはそれで間違っているわけでもない。

思っているより、私は自由なのかもしれないと思っただけだ。

会員サイトを作ってみようかなという気持ちになってきたのかもしれない。
またお客さんが来なかったら怖いという恐怖に
どう立ち向かうのか、みているのかもしれない

心が恐怖するのは、これまでの頑張りが無駄になることを恐れているから。
でもそれを恐怖していることよりも、やってみて失敗することの方がずっとやすらかなのだ。

記事を書くことは私に教えてくれた。
物事はそれ自体生き物だということ。文章は行きたい方向があるのだということ。
自分の思う通りにコントロールするのではなく、文章と友達になるということ。

それを学びとることは楽しくはなかったろうか

それから時間というものについても教えてくれた。
20分がこんなに豊かなものだと知らなかった。

私の心は恐れている。
小さないいねに一喜一憂し、疲れるのも感じる。
私はそこにこだわりたくはないと思う。一方で、気になる自分を無視できない。

無視しようとすることをやめる。話を聞いてあげる。他人の評価が気になること。もっと評価されたいことなどについて、聞いてやること。

「受け入れられなかったらどうしようという恐怖があるのです。
私は自分自身に対して自信がないのです。
私は私自身を愛していないのです。

子供を愛するようには自分を愛しきれないのです。
私は自分を隠そうとします。それは私を守るためです。

私は一人で仕事をしたいと思うのは、誰からも私を守る必要のない環境に身を置きたいと思うからです。」

私は私を取るに足らないものだと思っているのか?
ちょっと違う。誰も、本当の私をわかってくれるはずがないと思っている。わかってほしくなんか無いと。

「本当はわかってほしい。丸ごと知ってその上で好きだと言ってほしい。」

なぜ私は私を愛せない。どこに出しても恥ずかしくない自慢の私ですと言えない?
私は恐れているからだ。本当の自分を曝け出して、否定されたり、傷つくことを恐れている。

そのうちに本当の私が見えなくなりつつある。

恐れていることの方が辛いのかもしれない。
恐れていることをして、恐れていたことが起こった方が、ずっとマシだと。

私が副業しようと思ったのは、あそこに行くにはお金が必要だと思ったからだ。
もし、お金がいらないとしたら。
今から、あそこに行けるんだとしたら。

今日、私は誕生日だ。
私は今日から新しい考え方で生きてみよう。

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