『咲く花に寄す』 その5
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「いやあ、分かりませんなあ……」
退色した藍色の作務衣の上に丹前を重ねた住職が、申し訳なさそうにそう告げる。もともと小さな眼を糸のように細めて、綺麗に剃り上げた後頭部に右手のひらをペチペチと当てている。
「そないに変わった仏さんやったら、噂になりそうなもんですけれど、全く聞いたこともありませんわ。大きさとか、そもそも何観音様とか、どんな場所にいてはるとか、もっと詳しいことは分かりませんのん?」
「それがなあ、さっき言うたこと以外は、今のところ分からへんのやわ。この子も、実際に行ったことはなくて、おばあさんから聞いた話を元に、伝えてくれてる状況みたいでなあ」
まずは、一番近くて、一番可能性がありそうな、中之辺地区の龍福寺を尋ねてみた。山際にあり、立派な本堂に仏像も多数祀られており、その一隅に愛らしい梅観音がおわすのもさもありなんと思えた。
勝手口で要件を告げた後、本堂にあげてもらって、顔見知りである住職に話しを聞いている。幼児にとっては退屈な行程だろうに、みかはダレることなく大人しく同席しており、いたわりの気持ちを込めてそっと笑顔を向ける。
「御本尊や脇侍ではないやろから、あるとしたら、誰かが奉納しはった、小さい観音さんなんかなあ」
「そやねえ。ちょっと拝ませてもろてよろしいやろか」
「どうぞ。中まで入ってもうて結構です」
子供たちを招き寄せてから、一礼して、内陣に入らせていただく。
御本尊は阿弥陀如来坐像。ほぼ等身大で、鎌倉時代の作。脇侍として、愛らしい菩薩立像が並んでおり、ちょうど三千院の往生極楽院と同じような祀り方である。
厨子の内に端坐された、半眼のあくまでも穏やかなお顔に向き合ってから、ゆっくりと手を合わせる。神仏に祈ることは、彼の生き方の基本的な姿勢であり、とくにご利益信仰などはしない。
別間になっている、本尊の向かって右側には、奥の壇上に地蔵菩薩が祀られている。厨子はなく、像高1メートルほどの立像で、衣には精緻に描きこまれた文様がはっきり残っていて、放射状の光背を含めてとても美しい。
ふと、像の足元に置かれた、別の仏像に眼が留まる。
高さ15センチほどの、小さなお地蔵さま。木彫りの素地のままだが、とても丁寧に彫り込まれているのが一眼で分かる。
「それねえ、綺麗でっしゃろ? 檀家のおばあさんが念持仏として拝んではったお地蔵さんなんですけど、亡くならはって、どう扱うてええか分からへん……言うて、奉納しはったもんなんですわ」
「ほう……」
「不思議なことに、他にも檀家さんで、同じようなお地蔵さんを祀ってるお宅がいくつかあるんですけど、仔細を尋ねても、皆さん知らん言うたり、言葉を濁したりしはるんですわ。何かいわくがあったんかも知れませんなあ」
「拝見してよろしいかな?」
手のひらに取って、じっくりと眺める。そっと合わせた小さな両手と、優しい微笑みを浮かべたお顔が、なんとも愛らしく神々しい。
「大量生産の物とちごて、ちゃあんと魂が入ってる。もしかしたら、名のある仏師が彫った物なんかも知れんけど、銘も何も書かれてへんのですわ」
「なあ和尚、このお地蔵さん、しばらく預からせてもらえへんやろか」
「ああ、よろしいで。あの円空さんも、今や国宝扱いですけど、昔は子供の遊び相手で野山にまみれてた言いますさかいな。壇上に有難く祀ってるだけとちごて、わたしら衆生と一緒に現世をあれこれ彷徨うことこそ、仏さんの本懐なんかも知れません」
そう言って柔和な笑みを見せる住職に頭を下げてから、綺麗な手拭いで丁寧に包んで、お地蔵さまをジャンパーの内ポケットに収める。ふっと、胸が温かく感じる。しばらく眼を閉じて、「どうか私をお導きください」と祈念する。
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